2012年7月25日水曜日

ダークナイト・ライジング公開直前覚書 その2

その2.ウォール街占拠運動との微妙な関係。


数年前だったろうか。

「ウォール街占拠運動が幅を利かせるニューヨークのど真ん中、ダークナイト・ライジングの大規模撮影が行われた」

という報道が話題になった。

 クリストファー・ノーラン監督の徹底した箝口令のせいで、ストーリー上の情報は一切漏れてこなかったが、当然予想されたのが、「次回のバットマンでは、ウォール街占拠運動を背景に、現代社会、主にアメリカ社会において問題とされている格差社会の問題をクローズアップさせるのではないか・・・」という事。 ビギンズはともかく、ダークナイトやインセプションで深いテーマを扱ったクリストファー・ノーランであれば、現代の社会背景を巧みに編みこんだ映画を撮れるはずだから。

 しかしここで疑問が生まれた。ニューヨークでの大規模撮影は「警官隊と武装集団の武力衝突の様子で、バットマンは警官隊に混じって武装集団と戦っていた」という点だ。もし、格差社会やウォール街占拠を意識させるのであれば、「警官隊」はウォール街の連中、もしくは文字通り警官のメタファーで、「武装集団側」が一般国民もしくは貧困層のメタファーの役となるはず。となるとどういうことだ?主人公バットマンは、ウォール街の連中に味方して、「悪=武装集団=一般国民」と戦うという話なのか?
 ウォール街占拠の話はアメリカを二分する問題ではあるが、映画のクチコミや収益を支えるのは、(ウォール街占拠になぞらえるならば)「1%の富裕層」ではなく、「99%の一般国民」だ。単純に人口比で言うならば、ウォール街占拠を支持する人口の方が多いはず。(選挙の話はおいといて、ね)だったら、映画においては一般国民感覚で撮った方が高評価も収益も得やすいはずなんだ。それを考えると、バットマンが味方すべきは、武装集団側ではないだろうか云々と・・・。
 とはいえ、やっぱり生真面目なノーラン監督であれば、善悪の単純構造では描かず、武装集団側=ベインの微妙な主張にクローズアップし、ベイン側の肩を持つようにも映画を作るのではないかと予想した。

 しかし、アメリカでの公開後、批評家達が口々に話していたのが、「バットマンはまるで共和党大統領候補ミット・ロムニーだ」だという指摘。つまり、ダークナイト・ライジングでは、ウォール街の連中に味方をし、ウォール街占拠運動を起こしている市民に敵対する思想を含んでいる、と。やはり、撮影時に抱いた疑念は、正しかったわけだ。まぁ、本当にそうなのかは、自分の目で確かめるまで決めつけてはいけないのだけど。

 知人と会話をする際、「宗教と政治の話はタブー」とは言うけども、映画もその通りなんだと今回改めて感じた。町山氏は「イデオロギーで映画を語ってはいけない」と言っていて、自分もその意見に賛同するけども、全員が全員そういう味方ができるとは思えない。今年はアメリカ大統領選挙の年だけども、現職オバマ大統領とロムニーの支持率には大きな差が無く、どっちに転ぶか非常に微妙な状況であると聞いてる。今回、ロムニーを美化する内容の映画であった場合、大統領選挙に何かしらの影響を与えてしまうのだろうか・・・。気になってくる。


0 件のコメント:

コメントを投稿