2012年8月13日月曜日

ダークナイト・ライジングを絶対に認めたくない理由

※ ネタバレ注意


 2012年度のウルトラメガトン級超絶期待作として鑑賞した映画「ダークナイト・ライジング」。クリストファー・ノーラン監督が手がけるバットマン映画の3作目にして完結編。前作ダークナイトの衝撃から4年。僕が長年貯め続けた本作への熱意は、結局・・・大きく裏切られてしまったと言わざるをえない。

 各所で囁かれているように、本作は脚本上、物語構成上の技術的不具合が数えきれない程に存在する。見ていて本当に辛かった。
(”奈落”を脱出したブルース・ウェインはどうやって孤立したゴッサムに入ったのか問題、ベインの市民革命モドキは何の意味があったのか問題、前作でブルース・ウェインは市民による自警行為を批判していたのに本作ではマスクを被ればみんなバットマンになれるなんて事を言って奨励してた問題など)
・・・ただ、何と言っても一番「勘弁してくれホント・・・。」って感じたのは、前作ダークナイトで描かれた平和に対する考え方や価値観とは真逆の結末を描いている事だ。


 ダークナイトで多くの人に衝撃を与えた事というのは、カオスの使者を自称するジョーカーの揺さぶりにより明らかになった「理性や倫理の薄っぺらさ」だと思う。言い換えるならは、バットマンやゴッサム住民の内に秘める、汚い欲望を、心の表面に炙り出し、「自分若しくは自分の大切なものを維持・保持するためには、他人の不幸など知ったことではない」という考え方を白昼に晒したんだ。

例えば・・・
 >ジョーカーによる、「バットマンは名乗り出ろ、さもなくばゴッサムの住民を毎日殺していくぞ!」という脅迫に対し、ゴッサムの世論は一気にバットマンをスケープゴートにする方向へ動いた。
 >ジョーカーはバットマンを罠にはめ、「デントとレイチェルどちらかは助かるがどちらかは死ぬ」・・・と選択を迫った。バットマンはここでレイチェルを迷わず選択し、ジョーカーに指示された監禁場所へ向かったが、実は指示した場所はデントの監禁場所で、レイチェルは救出されずに死亡した。つまり、どちらを選択しても、欲しい方は手に入らない状況として、選択=私欲への罰を与えられてしまった。
 >バットマンとの戦いに楽しみを見出すジョーカーは、TVで「バットマンの正体に感づいた男リースを殺せ、さもなくば市内の病院を爆破する。」と呼びかけ、病院患者の身内の人間達が一斉にリースを殺しにかかってきた。
 >2隻のフェリーに、それぞれ一般市民と犯罪者が輸送され、フェリーを航行不能とし、互いを爆破することができる起爆スイッチを持たせ、「12時までにスイッチを押さなければ両方爆破する。相手を爆破すれば助けてやる。」と言い、「自分だけは助かりたい!」という人間の本性を暴こうとした。※これは失敗
 >そして特に重要なのは、デントの末路だ。地方検事ハービー・デントはジョーカーの策略により、光の騎士とまで称された正義の心を悪用され、心に潜む闇の部分を引きずり出されてしまい、コインの表と裏で人の生死をジャッジするトゥー・フェイスと成り果てた。


 ・・・などなど。人の心はエグいことこの上ない。
 このジョーカーの行動により、平和で秩序だった世界というのは、実はちょっとした揺さぶりによって簡単に崩れ去っていくものだという事が証明されてしまった。そしてジョーカーは、そのカオスにこそ人の本質があるかのように振舞った。

 しかしそれでは、平和に過ごせる未来は一生やってこない。平和がどんなに薄っぺらい建前上の倫理だとしても、かと言ってカオスを認めると、人の不幸につながるし、何より悪人が報われる世界を肯定することになってしまう。
 ここでバットマンは、デントが犯したすべての殺人の罪を自分が被り、デントを通じて人々が平和を望んだ思いが報われたように見せかけることを選んだ。でもこれは、事実ではなく嘘だ。他人を騙す悪の発想だ。すなわち、悪の力から平和を守ったのは、やはり悪なのだ。バットマンの自警行為に対する考え方・価値観とは、「日の当たらない闇の中で、非人道的手段であれ悪は排除しなければならない、そしてそれによって、たとえ薄っぺらくとも人々が安心して暮らせる平和を維持しなければならない」という事にあった。正義と悪を明確に区切ることなんて実は出来ない。結局のところ、どちらも変わらないのではないか。ダークナイトは、そんな問題提起をしてきたんだ。

「彼はヒーローではない、沈黙の守護者、我々を見守る番人、闇の騎士<ダークナイト>だ」

ゴードンのこの名台詞こそ、なぜダークナイトが多くの人の心を掴んだかを教えてくれるセリフだ。



そ れ な の に・・・だ!!


 このダークナイト・ライジングでバットマンは、文字通りRiseして、「光の騎士」になった。具体的には、デントの悪行をベインがばらしてしまったことで、逆に「バットマンこそ市民を守ったヒーローだった!」という認識が浸透し、汚名返上したのだ。映画のラストには、バットマンを記念した銅像すらも立てられる。
 これは言い換えるなら、前作ダークナイトのラスト時点でのバットマンとデント立ち位置が入れ替わり、バットマンが「正真正銘のヒーロー<光の騎士>」になったってことだ。主人公の努力がみんなに認められてよかった!!・・・というラストではある。絵に描いたようなハッピーエンドだ。

 それを裏付けるかのように、バットマン役を演じた俳優クリスチャン・ベイルのインタビューでは、以下のように解説されている。

 ”今回の彼もやはり肉体的、精神的に傷を負っている状態。前作で自らが選んだ決断のせいで苦しんでいるんだ。ゴッサムシティの希望のために選んだ道として短い間は問題なかったが、真実はやがて白日の下にさらされる。ブルースにとっては人生で最も厳しい時を迎えることになるんだ。自責の念に押し潰されるんだよ。そして、バットマンは姿を消してしまうのさ。” −MOVIE ENTERより抜粋−

 つまり、ダークナイトでの判断は一時しのぎであり、長い目で見れば間違った状態であったってことだ。俳優は、演じる際に必ず監督から演じる役についての説明を受けているはずなので、ここで語られていることは、恐らく監督クリストファー・ノーランの考えにも繋がると考えていいだろう。

・・・でもね、本作のタイトルは「ダークナイト・ライジング」だよ!?

 前作で「俺はヒーローじゃない」。「彼はヒーローじゃない」。・・・と散々セリフで言いまくって「ダークナイト」としての特殊な存在価値を大きく担ぎあげたクセに、本作になって「それは偽りで一時的なものでしかなく、あるべき姿じゃない・・・」なんて事言われても困るんだよ。だって僕は、ダークナイト・ライジングで否定している闇の騎士としての哲学・存在価値に心を震わせたから、ノーラン版バットマンを愛するようなったんだよ。逆に、ライジングの結末は、ダークナイトでジョーカーが否定していたことじゃないか。

 なのに、悪は悪でやっぱりダメってところに落ち着くって・・・
前作で支持された思想を完全に否定してるって事じゃん!!

 だから僕は、たとえ脚本の技術的欠陥ない状態でライジングが完成していたとしても、好きにはなれなかったと思う。(まぁこれは個人的な思想の話なので、好みは分かれるだろうけども・・・。)

 こうして、ダークナイト鑑賞後から4年間思い続けたノーラン版バットマンへの信仰は、終わりを告げたわけだ。とはいえ、これからも前作ダークナイトのファンであり続けたいと思う。シカゴの地下を疾走するバットポッドに震えたあのときの興奮は、今でも忘れられないもの。





2012年7月30日月曜日

ダークナイト・トリロジー完結記念 名シーンBest10 <ネタバレ注意>


<ネタバレ注意>



遂に終わってしまった、クリストファー・ノーラン版バットマンシリーズ。

ダークナイト・ライジングについて、今だ自分の意見が整理できていないものの、とりあえず、見ていて好きになったシーンをかき集めて、ランキングを作ってみた。

・・・本能に従った結果、非常に偏りのある順番になってしまった。
しかしこれこそ、自分の中の直感的評価結果と言ってよいでしょう。





1位「ダークナイト」より、
ゴードンによる映画最後のセリフ。
”He's a silent guardian...a watchful protector. A dark knight.”
「彼は沈黙の守護者、我々を見守る番人、闇の騎士(ダークナイト)だ。」


2位「ダークナイト」より、
破壊されたタンブラーから、バットポッドが出現するシーン。
Goodbye.(Computer)


3位「ダークナイト」より、
バットマンとゴードンによるジョーカー取調べシーン。
"Look at you go."
「ほらやっぱりなっwww!!!」


4位「ダークナイト」より、
ジョーカーの手品シーン。
”I'm gonna make this pencil disappear. Ta-da!!”
「これからこの鉛筆を消してやろう・・・ジャジャーン!!」


5位「ダークナイト」より、
冒頭の銀行強盗シーン(特に、ジョーカーがマスクを外して笑うシーン)
”I believe whatever doesn't kill your simply makes you…stranger.”
「俺が信じるのはな、人は死ぬほど酷い目に遭っているとどんどん…イカれてくるって事さ。」


6位「ダークナイト・ライジング」より、
EMPブラスターを使って周囲の照明の光を消しつつ、闇に混じってバットポッドが走るシーン。


7位「ダークナイト」より、
ジョーカーが警察署から逃走する時に魅せる、箱乗りシーン。


8位「バットマン・ビギンズ」より、
クレイン博士=スケアクロウが喋るシーン全部。


9位「ダークナイト・ライジング」より、
バットマンがベインに無残にもボコボコにされるシーン。


10位「バットマン・ビギンズ」より、
火災で崩壊するウェイン邸で、気を失ったブルースをアルフレッドが助けるシーン。
Bruce:”You still haven't given up on me?” 「まだ僕を見捨てないでいてくれるのか?」
Alfred:”Never.” 「決して。」




・・・オマケ 「バットマン・ビギンズ」より、
世界のKEN WATANABE壮絶死シーン。



2012年7月26日木曜日

ダークナイト・ライジング公開直前覚書 その3


その3 バットマンとブルース・ウェインの二面性について、つらつらと。

 ダークナイト・ライジングでは、ビギンズでクローズアップされていたブルース・ウェインの過去が大きく関わってくるということだ。というか、アメリカでの公開後は、むしろライジングはビギンズのやり直しだとさえ言っている。ブルース・ウェインの過去のトラウマをブラッシュアップしつつ、バットマンとしての生き方を何らかの形で終わらせるまでが描かれるのだと思う。
 まぁありがちな設定かもしれんが、それをどう描くか、に期待したい。

>バットマン・ビギンズでのレイチェルの言葉
バットマン・ビギンズで、焼失したウェイン邸の前でレイチェルが言ったセリフがある。
  「ブルースは戻って来なかった、この顔こそ、仮面なの。」
ここで、バットマンとブルース・ウェインの二面性が初めて示唆されてたんじゃないかと思う。それに加え、こんなセリフもある。ブルース・ウェインが高級レストランを買い取って水槽で美女と遊んだ後で、バッタリとレイチェルに遭遇してしまった場面。
  「人の本性は行動に出るのよ」
という何とも痛いセリフ。それに対してブルース・ウェインは、バットマンとしての行動でもって、その意見に答え、評価を得ようとした。だからコウモリ姿でレイチェルに対して同じ言葉を発したわけだ。
 しかしそれでは、「バットマンの正体はブルース・ウェイン」ではなく、「ブルース・ウェインの正体はバットマン」という定義の仕方をせざるを得ない。すなわち、バットマンとしての思想こそ、ブルース・ウェインの内面にあるということ。レイチェルにとって、バットマンとしての思想を前提とした今のブルース・ウェインはバットマンが被った大富豪としての顔であり、レイチェルが愛した人間とは、もはや別の存在となってしまったわけだ。

> ダークナイトでのスケアクロウの言葉
 スケアクロウことキリアン・マーフィは、ダークナイト・ライジングでも出演するという情報が以前あった。それを聞いた時思い当たったのが、ダークナイトのストーリー序盤でのスケアクロウのセリフ。
  自警市民「あんたを手伝いたいんだ!」
  バットマン「助けなど要らない!」
  スケアクロウ「私の診断では違うぞ」
 恐らくこの時点で、スケアクロウ=ジョナサン・クレインは、精神科医として、バットマン=ブルース・ウェインの内面が相当におかしくなっているのをすでに見ぬいていたんだね。ダークナイト・ライジングで、その辺の詳細な意図が明らかになるのではないかな、と。

>ダークナイト・ライジングTVスポットでのアルフレッドの言葉
 「あなたはもうバットマンではない」
ダークナイト・ライジングのストーリーは、ダークナイトから8年後の事だという。バットマンとしての活動を休止していたブルース・ウェインは、その長期休暇ゆえ?か、既に二面性を失っていた?それとも、バットマンとしての闇の心を内に潜め、二面性を維持したまま、バットマンを引きずって隠居していた?
 


 さて、明日の先行上映から、事実上の一般公開となるダークナイト・ライジング。
幼い頃にコウモリだらけの井戸に落ち恐怖し、両親を悪党に殺害され、あまりに大きなトラウマを引きずり続けた大富豪の末路とは・・・?
 IMAXシアターでの先行上映一発目で鑑賞予定なり。


2012年7月25日水曜日

ダークナイト・ライジング公開直前覚書 その2

その2.ウォール街占拠運動との微妙な関係。


数年前だったろうか。

「ウォール街占拠運動が幅を利かせるニューヨークのど真ん中、ダークナイト・ライジングの大規模撮影が行われた」

という報道が話題になった。

 クリストファー・ノーラン監督の徹底した箝口令のせいで、ストーリー上の情報は一切漏れてこなかったが、当然予想されたのが、「次回のバットマンでは、ウォール街占拠運動を背景に、現代社会、主にアメリカ社会において問題とされている格差社会の問題をクローズアップさせるのではないか・・・」という事。 ビギンズはともかく、ダークナイトやインセプションで深いテーマを扱ったクリストファー・ノーランであれば、現代の社会背景を巧みに編みこんだ映画を撮れるはずだから。

 しかしここで疑問が生まれた。ニューヨークでの大規模撮影は「警官隊と武装集団の武力衝突の様子で、バットマンは警官隊に混じって武装集団と戦っていた」という点だ。もし、格差社会やウォール街占拠を意識させるのであれば、「警官隊」はウォール街の連中、もしくは文字通り警官のメタファーで、「武装集団側」が一般国民もしくは貧困層のメタファーの役となるはず。となるとどういうことだ?主人公バットマンは、ウォール街の連中に味方して、「悪=武装集団=一般国民」と戦うという話なのか?
 ウォール街占拠の話はアメリカを二分する問題ではあるが、映画のクチコミや収益を支えるのは、(ウォール街占拠になぞらえるならば)「1%の富裕層」ではなく、「99%の一般国民」だ。単純に人口比で言うならば、ウォール街占拠を支持する人口の方が多いはず。(選挙の話はおいといて、ね)だったら、映画においては一般国民感覚で撮った方が高評価も収益も得やすいはずなんだ。それを考えると、バットマンが味方すべきは、武装集団側ではないだろうか云々と・・・。
 とはいえ、やっぱり生真面目なノーラン監督であれば、善悪の単純構造では描かず、武装集団側=ベインの微妙な主張にクローズアップし、ベイン側の肩を持つようにも映画を作るのではないかと予想した。

 しかし、アメリカでの公開後、批評家達が口々に話していたのが、「バットマンはまるで共和党大統領候補ミット・ロムニーだ」だという指摘。つまり、ダークナイト・ライジングでは、ウォール街の連中に味方をし、ウォール街占拠運動を起こしている市民に敵対する思想を含んでいる、と。やはり、撮影時に抱いた疑念は、正しかったわけだ。まぁ、本当にそうなのかは、自分の目で確かめるまで決めつけてはいけないのだけど。

 知人と会話をする際、「宗教と政治の話はタブー」とは言うけども、映画もその通りなんだと今回改めて感じた。町山氏は「イデオロギーで映画を語ってはいけない」と言っていて、自分もその意見に賛同するけども、全員が全員そういう味方ができるとは思えない。今年はアメリカ大統領選挙の年だけども、現職オバマ大統領とロムニーの支持率には大きな差が無く、どっちに転ぶか非常に微妙な状況であると聞いてる。今回、ロムニーを美化する内容の映画であった場合、大統領選挙に何かしらの影響を与えてしまうのだろうか・・・。気になってくる。


2012年7月24日火曜日

ダークナイト・ライジング公開直前覚書 その1

いよいよ、4年の歳月を経て、ダークナイトの続編「ダークナイト・ライジング」が公開される。アメリカでは日本より1周間早く封切りされたけども、それと同時に色々な「動き」が起こり、正直滅入ってしまった。

とりあえず、週末の鑑賞に向けて、ポイントを整理していく。




その1.オーロラでの銃撃事件


しばしば、「歴史に残る映画」というのは登場するが、どのように歴史に名を刻むかは、様々な事例が考えられる。
例えば興行収入でトップ1になれば、数字として記録に残るのは当然。また、公開年のアカデミー賞を多部門で大量受賞することによっても、オスカーの受賞リストに名を残せる。

ただ、経済・娯楽としてではなく、文化・芸術視点で考える場合、歴史に残る映画とは「その時代に新たな価値観を提示する映画、新たな問いを発する映画、印象に残る表現手法を使う映画、前例のない何らかの衝撃を与える映画etc...」である場合が多い。「サイコ」や「2001年宇宙の旅」等が、そういった類に分類されるべき映画だ。そして、それらは、いくら儲けたかという尺度では図れない価値観の世界と言える。

ダークナイトはどうだろうか。
興行的にも成功を収めてはいるものの、どちらかといえば、後者の意味で歴史に残る映画かと思う。バットマンの宿敵ジョーカーを演じたヒース・レジャーは、16時間の連続撮影という強行スケジュールの中、クリストファー・ノーラン監督の指示により、シド・ヴィシャスと時計じかけのオレンジのアレックスを精神に宿して演技を続けた。その結果、心を病み、不眠症となり、ミシェル・ウィリアムスとの婚約は破棄となり・・・そのまま死の床についてしまった。ヒース・レジャーは、命を引換えにジョーカーを演じ、伝説を作ったと断言できる。その悲劇性が映画界に与えた衝撃は、当然大きかった。

では、ダークナイト・ライジングは?
ライジング公開に当たって、その期待度が並大抵のものではなく、当然ながら興行記録の更新が望まれた。しかし今年の春、正統派ヒーロー映画アベンジャーズが、超特大ヒットを飛ばした。アベンジャーズは、子供から大人まで楽しめる点、3D上映による割増料金を加算できる点で、「儲けやすい映画」である反面、ダークナイト・ライジングは暗くて大人向け、しかも2Dオンリー上映といったように、「儲けにくい映画」だ。それゆえ、アベンジャーズの記録を抜き去り、興行記録で歴史を塗り替えるのは難しいのではないかというのが大方の予想であった。 
そんな冷ややかな分析が成される中、ついに20日に公開され・・・全く不本意な形で、歴史に残るオープニングデイを迎えることになった。

20日の夜、「アメリカの映画館で、最新作上映中に銃乱射」というニュースの見出しを見た瞬間、ダークナイト・ライジングの事だとわかった。ヒース・レジャーに続いて降りかかった「人の命に関わる悲劇」。不謹慎とはわかっていつつも・・・ノーラン・バットマンシリーズは呪われているんじゃないか、と思わずにはいられない。
犯人のジェームズ・ホームズは「自分はジョーカーである」と名乗ったという未確認情報がある。「現実世界に本物のジョーカーが生まれてしまったというのか」・・・という危惧が拭えないが、実際はどうなんだろうか。
ダークナイト本編において、ジョーカーに心酔し市長暗殺に加担する男として「シフ」という妄想型統合失調症患者がいた。バットマンはハービー・デントに対し、「ジョーカーはこういう人間を仲間に引き入れるんだ」と言ってシフへの尋問が不毛である事を主張した。これ、要は「ジョーカーの哲学の本気でなびいてしまうのは、シフのように精神に以上を持っている人間ぐらいだ」と言って一蹴しているわけだ。銃乱射犯は、ジョーカー自身としてではなく、ジョーカーのフォロワーとして見るべきで、シフに近い存在だとして見るべきと思う。(マトリックスでも、同様に殺人事件が起こったという話を聞いたことがある。「自分は今マトリックスの中にいるんだ」と信じる人間が実際に人を殺して自殺し、マトリックスから脱出しようとしたのだろうか。)

歴史に残る映画とは、どうあるべきか。興行収入は、宣伝によってある程度上昇させられるが、人の心に残る映画となると、「人間を心酔させる魔力」を持つ映画でなければいけない。今回のライジングでの惨劇は、前作ダークナイトの議論を蒸し返すことになるだろうし、「ライジング上映中の悲劇」である以上、ライジング自身も社会歴史上の汚名を被ることは間違いない。
時代の先を行く映画というのは、メインストリームではありえない。ダークナイトやダークナイト・ライジングのような、普通の映画とは別の新しい尺度で検証される映画であって、その新尺度によって後の映画に影響を与えることになり、歴史の系譜を作る。すなわち、歴史に残る映画になるのでしょうな。



アメリカでのライジング公開後、さっそく批評家の分析が始まっている。右派メッセージが強いという意見が多数あるようだ。次はそのあたりを整理したい。


2012年6月17日日曜日

キャラの魅力で乗り切る「ダーク・シャドウ」


ティム・バートン監督「ダーク・シャドウ」を見た。
とても期待していたのに、結構ガッカリして劇場を出た。予告編を見た時は、キャラクター性、好みのキャスト等々、とても魅力を感じただけに、この落胆はしんどい。脚本がちょっとヒドイな。




<ストーリー> ーallcinemaより抜粋ー
 ”200年前、コリンウッド荘園の領主として裕福な暮らしを謳歌していたプレイボーイの青年バーナバス・コリンズ。しかし、魔女のアンジェリークを失恋させるという大きな過ちを犯し、ヴァンパイアに変えられ、墓に生き埋めにされてしまう。そして1972年、彼は墓から解放され自由の身となる。しかし、2世紀の間にコリンウッド荘園は見る影もなく朽ち果て、すっかり落ちぶれてしまったコリンズ家の末裔たちは、互いに後ろ暗い秘密を抱えながら細々と生きていた。そんなコリンズ家の末路を目の当たりにしたバーナバスは、愛する一族を憂い、その再興のために力を尽くそうと立ち上がるのだったが…。”


・テーマがバラバラ・・・
この映画には幾つかのテーマあるようなんだが、どうもまとまりが弱かったな。家族愛担当のコリンズ一家の面々、恋愛担当のベラ・ヒースコート、呪い&敵&エロ担当のエヴァ・グリーン嬢、そして背景にある70年代の雰囲気。
それぞれエピソードが独立していて、互いに依存する設定上の関係性がほとんど無く、ストーリーラインが分割されている。そうなると、個々のラインを描くのに必要な時間の尺が短くなる。尺が短いと、深掘りできず、ストーリーが浅くなる。そんな感じがした。

・活かせていない設定と背景
画面に出てきたわりに宙ぶらりんなモノが多かった。
主たるのが、ヘレナ・ボナム・カーター!家族じゃないし、物語のカギかというと、そういうわけでもない。彼女は一体何しに出てきたんだ!?ジョニー・デップのヴァンパイアとしての凶暴性を描きたかったのか?何か浮いてる気がする。あと無駄な船長設定のクリストファー・リー!会社再建にジョニー・デップの催眠術使ってたところを笑いにしてたんだろうか。全然ヒネリ無いってば。そしてそもそも、なんで1972年?これ別に現代でもよかったんじゃないか?監督自身のノスタルジックなエゴか?ちょっと分からなかった。

・これがやりたかっただけだろ
予告で大きなインパクトを受けた、ジョニー・デップとエヴァ・グリーンのエッチシーン。予告で紹介された内容以外に何の情報もカタルシスも無い。怪物同士がセックスしたらこうなっちゃいます!っていうギャグを撮りたかっただけなんだろうって気がした。そりゃ確かにあのシーンは面白かったけど、物語上の必然性は弱いでしょ。憎んでいても押し倒してしまう魔性の女を描きたかったとか?ちょっと弱いなぁ。

・とはいえ、素材はGood。
素材がしっかりしていただけに、予告編では表面的な華やかさが目立ったんだね。とっても残念。ただ逆に言えば、素材はしっかりとしているので、キャラクター性からユーモアを感じて楽しめばいいかなと。元ボンドガールのエヴァ・グリーン嬢は相変わらず素敵だし、キック・アスのファンならクロエ・グレース・モレッツが出ているというだけで興奮すること間違いなし。自分の場合、リトル・チルドレンのぶっ飛び変質者やウォッチメンのロールシャッハで知られているジャッキー・アール・ヘイリーが出ているのは、とってもワクワクしたし、あのコミカルさは好感が持てたよ。


2012年6月2日土曜日

アンチ・ノスタルジーの秀作「ミッドナイト・イン・パリ」

ウディ・アレン監督「ミッドナイト・イン・パリ」を観てきた。今年のアカデミー賞でオリジナル脚本賞を受賞した話題作。そこそこの期待をかけていたところ、思った以上の良い出来で、とても楽しめた。





<ストーリー> ーallcinemaより抜粋ー
 ”ハリウッドでの成功を手にした売れっ子脚本家のギル。しかし、脚本の仕事はお金にはなるが満足感は得られず、早く本格的な小説家に転身したいと処女小説の執筆に悪戦苦闘中。そんな彼は、婚約者イネズの父親の出張旅行に便乗して憧れの地パリを訪れ、胸躍らせる。ところが、スノッブで何かと鼻につくイネズの男友達ポールの出現に興をそがれ、ひとり真夜中のパリを彷徨うことに。するとそこに一台のクラシック・プジョーが現われ、誘われるままに乗り込むギル。そして辿り着いたのは、パーティで盛り上がる古めかしい社交クラブ。彼はそこでフィッツジェラルド夫妻やジャン・コクトー、ヘミングウェイといった今は亡き偉人たちを紹介され、自分が1920年代のパリに迷い込んでしまったことを知るのだった。やがてはピカソの愛人アドリアナと出逢い、惹かれ合っていくギルだが…。


●豊かなキャラクター
現代描写、1920年代描写、ともに適度にユーモアがある良いシナリオ展開で、とても面白かった。中でも、主人公と有名なアーティストとの掛け合いは新鮮かつ自然で、まるで自分もその雰囲気の中に一緒にいるような感じがする。風景や人物設定等、細かいディテールまでこだわっていることで、説得力を与えているんだろう。
あまり評価の対象にはなっていないようだけども、オーウェン・ウィルソンの三枚目演技が、主人公ギルのイメージと無茶苦茶ハマっていてとっても良かった。ちょっと抜けていて、夢見がちなのに踏み切れない感じがあって頼りない反面、根は真面目で憎めない。そんな性格なのが本作の主人公ギル。バカすぎず、マジメすぎない感じを上手く演じてくれたと思う。
また、フィッツジェラルド役でトム・ヒドルストンが出ていた。彼はものすごく顔力の強い俳優だね。本作や戦火の馬のようなサワヤカな役も、マイティ・ソー、アベンジャーズのロキのような敵役も務まってしまう。あの特徴のある顔立ち・大きな目が、キャラクター作りに役立っているのだと思う。ダリ役のエイドリアン・ブロディもなかなか良かった。ダリの特徴ある雰囲気は真似しやすいのかもしれんが。そして、マリオン・コティヤール嬢は相変わらず美しく、場の空気を変えてしまうほどの存在感を放っていた。

以下ネタバレ。

●主人公の気付きと旅立ちの話
とはいえ、本作でもっとも気に入ったのは、物語の主張するテーマだ。最も輝いていた1920年代のパリに来たギルは、その時代で知り合った女性アドリアナとともに、更なる過去・1890年代へ迷い込んでしまう。するとどうだろう、アドリアナは1890年代は最も素晴らしく、1920年代は退屈だと言う。ギルは、アドリアナの考えに驚くが、やがて気づく。「どんな時代の人でも、過去を美しく観て、自分の時代に希望を見出そうとしない」ということを。そして彼は、アドリアナ=1920年代のパリとの別れ、「現代のパリ」の地に脚を踏みしめ、前を向いて人生を歩んでいく決意をする。今後もしかして、何十年後の人々から、「2010年代のパリは黄金時代だった」と語られる日が来るかもしれない。いや、そうに違いない。だってそこは、誰もが憧れる「世界一の都・パリ」なのだから・・・。

●アンチ・ノスタルジー
過去に戻って偉人たちとのドタバタを楽しむノスタルジックなファンタジー映画かと思いきや、なかなか人生訓に満ちた深い映画だったと思う。本作を見ると、「三丁目の夕日」と「オトナ帝国」の対比論を再び思い起こされた。「三丁目の夕日」シリーズは、妄信的とも言える程のノスタルジー迎合映画だ。過去を振り返り、ただひたすら素朴さ、美しさ、懐かしさを描くことで、現代を生きる大人たちを虜にした。
一方、アンチ・ノスタルジーの傑作として有名なのが、「クレヨンしんちゃん・嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲」だろう。昭和の古き良き時代を復活させようとする敵と、来る未来を守ろうと立ち上がった野原一家との戦いを描いた映画。本作ほど未来への希望を持たせる映画はそうそうは無い。
人はだれでも、昔を懐かしんだり、「あの頃は良かった・・・」等といって現代を悲観的に見る時がある。でも、そんなイメージは得てして美化されたもので、その時代にはその時代の嫌なことや苦労があったはずだ。本作にあるように、その時代に人も過去を夢見ていたかもしれない。つまり、過去への憧れは、いつの時代の誰もかもが持ちうる幻でしかないのだ。

美しき過去の記憶に囚われず、自信を持って現代を生きる事こそ大切なのだと教えてくれる作品が、自分は好きだ。それが、オトナ帝国であったり、このミッドナイト・イン・パリであったりする。我々の実際の生活に強いメッセージを送ってくれる映画がもっと作られて、もっと人々の目に触れ、正当な評価を得てくれるといいのに。