2012年4月30日月曜日

2012年4月29日日曜日

ブラック&ホワイト

なかなか安定感のある内容でGoodだった。普段からマイナーなエグエグ映画に慣れてる人には物足りないかも。でもまぁ、ライト層には充分楽しめるかな。

2012年4月28日土曜日

ノスタルジーへの平手打ち「アーティスト」

フランス映画で、しかも無声モノクロ。
アカデミー賞作品賞獲得「アーティスト」。


ストーリー ーallcinemaより抜粋ー
”1927年、ハリウッド。サイレント映画の大スター、ジョージ・ヴァレンティンは、彼に憧れる女優の卵ペピーと出会い、自身の主演作でエキストラの役を手にした彼女に優しくアドバイスをおくる。そんな中、時代はセリフのあるトーキー映画へと大きく変わっていく。しかしジョージは、自分は芸術家だと主張してサイレント映画に固執、瞬く間にスターの座から滑り落ちることに。そんなジョージとは対照的に、時代の波に乗ってスターの階段を駆け上っていくペピーだったが…。”


無声映画は、より人の感情へ訴えかけると言っていたけども、現代映画に慣れている自分には、少々疲れを起こす映画だった。テロップが実際の発声より遅れて表示されるのが、どうにも違和感。面白かったけどね。
ところどころで音声を使っているところを見ると、無声映画を撮りたい!という意識より、これが無声映画だ!というノスタルジーへの尊敬を表す意識があるかな。でも、ノスタルジーはあくまでノスタルジーであって、現実を、未来を見なければいけないっていう事を描いていたように思う。うーん好感が持てる。三丁目映画よりもオトナ帝国に近い、辛いけど前向きなお話だった。

「パルムドック」の犬さんの演技(芸?)はホントすばらしかった。細やかな動きと、演技のバリエーションが多く、申し分ない。

あと心に残ったのは、ジャン・デュジャルダンが自暴自棄になって自分のフィルムを全部バラバラにして火を付けた後、ハッと我に帰って、グチャグチャにしてしまったフィルムの中から、無傷のフィルムを見つけて強く抱きかかえるシーン。あれを見て思い出したのが、ロード・オブ・ザ・リングのボロミアだ。ボロミアは旅の途中、欲に溺れて感情が高ぶり、フロドから指輪を奪おうとしたが、フロドは間一髪逃げ出した。ボロミアは直後に我へと帰り、「俺はなんてことをしていまったんだ」と後悔する。そいて、フロドが敵に襲われた時、ボロミアはその命をかけてフロドを守り、罪を償った。
感情って難しい。あとで思えば「何であんな馬鹿なことを」っていうような間違いを犯してしまう。でも、そのあとの贖罪に、苦しみに、途方も無い努力と時間を、人生をかける。あれこそ、人間の醜さであり、美しさでもある。そんな凹凸ボロミアは、我々人間の代弁者だったのだ。ああ何て奥が深いロード・オブ・ザ・リング。・・・って話変わってる。


2012年4月27日金曜日

偏食


カウボーイビバップ よせあつめブルースより。
スパイクは言った・・・。
”食いモンはとても大切だ。なにしろ人間の体はそいつが食ったモンで出来ているわけだ。もし俺のクローンが人間がいたとして、そいつがハンバーガー以外食ったことがないことにしよう。そいつと俺は遺伝子的には同じでも、まったく違った人間になるはずだ。ハンバーガースパイクは俺よりも怒りっぽいかもしれないし、日曜には教会に行くような男かもしれない。凶暴な賞金首かもしれないし、Yシャツにはアイロンをあててから着るような男かもしれない。いずれにしても、ハンバーガースパイクは俺とは別人だ。要するに食い物を選ぶときは、よくよく考えて選ばないといけないってことだ。”



最近、自分がシリコンバレー関連ニュースに夢中になっているのは、TechCrunchをRSSリーダー様に無理矢理食わされているから、ってだけなんじゃないかと思うことがある。ProcessingやArduinoの作例に心躍らせるのは、Make関連ニュースをRRSリーダー様に食べさせてもらっているからではないかと不安になる。そして、世の中一般のエンターテイメントに興味が無いのは、それらを食べていないからだと思い始めている。


やっぱり嗜好は、行動の結果だ。何を食べたか、だ。




2012年4月26日木曜日

アポロ宇宙船のソースコード


ココに、NASAのアポロ計画、ジェミニ計画に関連するドキュメントが公開されている。
「Document Library Page Apollo and Gemini Computing Systems」

ちなみに「コレ」がソースコード。

これでNASAは月に行ったんだぁと思うと、ジーンとくる。
そんなことを考えていると、
ふと、またもや以前見た記事を思い出した。

「砂糖水を称賛するのはやめよう」−TechCrunch Japan−

ここで紹介されているツイートにハッとさせられた。



”あなたのケータイの計算能力は、1969年のNASA全体の計算能力を超えている。NASAは人を月へ打ち上げた。我々は、怒った鳥を豚へ打ち込んだ。(Angry Birdsアプリのこと)”

あああ・・・。



・・・そしてさらに思い出してしまったのが、カウボーイビバップ TV放送最終回「よせあつめブルース」より。Part10 シュガー・マウンテン。

スパイク「赤ん坊に甘いものばかり食わせると、そればかり欲しがって、肝心の栄養のある食事を受け付けなくなるそうだ。やはり、砂糖菓子のようなものこそが有毒だ。別に甘い食いモンのだけの話をしているんじゃない。世の中砂糖菓子でいっぱいだ。そんなものばかり見てたら、脳が腐ってヨーグルトになっちまうぜ。」


だってさ。
今なら意味がよく分かる。





2012年4月25日水曜日

シャイア・ラブーフ、トム・ハーディの「Lawless」


シャイア・ラブーフとトム・ハーディの「Lawless」





トム・ハーディは、ブラック&ホワイト、ダークナイト・ライジング、そして本作と、今年三本もの映画に主役として出演。(裏切りのサーカスにもサブメンバーとして出ている)人気すぎや。インセプションと、ダークナイト・ライジングでのベイン役獲得以降、完全にフィーバーかかってるな。バブルが弾ける不安も無きにしも非ずだけども、実際に演技力はあるので、そうやすやすとは消えることもないでしょう。

そういえば、ゲイリー・オールドマンとトム・ハーディの共演映画としても三本目か。裏切りのサーカスと、ダークナイト・ライジングと、本作。仲いいな。(関係ない)

そして、今回のゲイリー・オールドマンは、久々の悪役っぽい。バットマン・ビギンズ以降、ゴードンの役のせいで正義のイメージが染み付いてる。それ以前は、屈指のクレイジー悪役俳優だったのを忘れていた。レオンを思いだせ!フィフス・エレメントを忘れるな!



2012年4月24日火曜日

リアル「進撃の巨人」・・・?

これは・・・

「AmazonがB2Bに進出, 最初は機械工具専門のAmazonSupply」−TechCrunchJapan−

巨人Amazonとしては、事業拡大を図る上で順当な手だろう。
ただ、もしこれが日本に展開されてきたら、小粒の商社は大丈夫か・・・?


2012年4月23日月曜日

はたして日本公開は?津波映画「The Impossible」

ユアン・マクレガーとナオミ・ワッツの映画「The Impossible」の予告編。
2004年に発生したスマトラ島沖地震による津波を題材にした実話。



この映像を見て、3.11を思い起こさない日本人はいないだろう。
多分、企画自体は3.11以前から持ち上がってきていたんだと思う。でも、そうだったとしても、すごく嫌な感じがする。内容にもよるけど、メジャー公開は無理だろう。多分単館系の上映の域を出られないだろうな。

ま、日本も震災映画は既に乱立しているんだけども。
ドキュメンタリーといえども、ね。

2012年4月22日日曜日

辛いけど大団円「トイ・ストーリー3」


今更ながら、トイ・ストーリー3を見た。
もう最高と言うしか無い。コレ程の三部作最終章は、他にはなかなか見当たらない。
評判通りの「シリーズ最高傑作」なり。




ストーリー −allcinemaより抜粋−
 ”ご主人様のアンディと楽しい時間を過ごしてきたおもちゃたち。しかし、17歳になったアンディは、すでにおもちゃで遊ぶこともなくなり、また大学へ進学するため引っ越しの準備をしていた。そして、アンディの一番のお気に入りだったウッディだけが彼の引っ越し先へ持って行かれることとなり、バズや他のおもちゃたちは屋根裏部屋行きに。だが、ある手違いで危うくゴミに出されるところだった彼らは、ウッディの説得もむなしく、サニーサイドと呼ばれる託児施設行きを決断する。ロッツォというクマのヌイグルミに迎えられ、新たな遊び相手が出来たことを喜ぶ一同。ところがそこは、おもちゃを破壊する凶暴な幼児ばかりの、おもちゃにとってまさに地獄といえる場所だった。ひとりその難を逃れていたウッディは、仲間たちの危機を知り、急いで彼らのもとへと向かうのだったが…。”


 ラスト15分あたり「これがやりたかっただけだろ!!」ってツッコミたくなるけれど、そのシーンへ到達するまでに展開される冒険、笑いのセンス等、エンターテイメント映画としてほぼ申し分なし!観客を楽しませ、かつ制作側が込めたメッセージを伝えるという、映画としての本分を忠実にこなした。

 アンディとボニーが一緒にウッディ達と遊ぶところ。ウッディが久々に、そして最後にアンディと遊ぶシーンでもある。アンディの思い出や魂がボニーへ受け継がれていくための「儀式」のようなものにも見えた。

 過去に自分が歩んできた道のりを振り返り、自分が今までどんなモノに触れてきたのか、どんなモノと生き、どんなモノとの別れを経験したのか、そんな「出会いと別れ」をどれほどたくさん経験しただろうか、そんなことを思い起こさずにはいられない映画だ。
 そして更にいうと、自分が現在進行形で関わるモノとの別れが来るのか、そしてその先に待つ新たなモノとの出会いは何なのか・・・。オモチャ映画であるにも関わらず、人生指南な要素が色濃い。(もともとトイ・ストーリーやピクサー映画はそんなのばっかりだが、今回は特に如実。)はっきり言って、完全なる大人向け映画でしょう。子供が見たってわかんないよこんなの。(褒めてます)

 技術面でも、キャラクターの表現力がハンパなく進化していて、人間レベルの演技をさせていた。時代を感じる。

2012年4月21日土曜日

仮面

ピーター・パーカーは、
スパイダーマンになると
モテモテになる。

ブルース・ウェインは、普段はイカれた大富豪。コウモリのスーツを着ると、静かなる守護者になる。

着ぐるみの力。
マスクの力。
象徴化・偶像化とはすごいものだ。





2012年4月20日金曜日

いよいよ明日公開「裏切りのサーカス」


遂に公開。絶対観たい。



でも中部地方の上映館は、今のところTOHOシネマズ名古屋ベイシティのみ。
後になって他の映画館も巡回するかもしれんが、断言できない。
絶対に見逃したくない。これはもう港区まで見に行くしかないか。。。

本作にはゲイリー・オールドマンとトム・ハーディが出ているが、彼らはダークナイト・ライジングで、ゴードン署長とベインを演じる仲。本作を楽しみつつ、7月の衝撃に備えるのだ。

2012年4月19日木曜日

時代が求めた「グスコーブドリの伝記」



宮沢賢治の名作「グスコーブドリの伝記」が、
なぜか、アニメーション映画化することとなった。






まぁ理由は明白で、寒冷化したイーハトーブを救うために、二度と帰れないと分かっていながら、火山へ行き、自らの科学技術によって命を引き換えに噴火を起こして、イーハトーブを救うというお話だからでしょう。


自然災害とは何か?  科学とは何か?  命とは何か?
3.11後の日本映画として、コレ以上のテーマはないでしょう。

イーハトーブってことは、舞台も同じ東北だしね。


2012年4月18日水曜日

宇宙が生まれる

AKIRAにこんなのあったよね。
まるで宇宙が生まれたみたいだ。



水面下のスピーカーから音を出すと、音の振動で弾くような振動が水面に現れて、天井の正面を乱反射させるんだそうだ。



2012年4月17日火曜日

アプローチ <泥酔投稿>

ここに一枚の紙があるとする。

この紙を、右から左に向かって幅方向2/3までビリビリ破る。定規を使わず、フリーハンドで。
すると、破れた線は蛇行して、多分上か下に偏る場合が多い。

では今度は、左から右に幅方向2/3までビリビリ破る。定規を使わず、フリーハンドで。
すると、破れた線は蛇行する。上か下かに偏る。

このとき、右からの敗れ目が上に蛇行したと過程する。それに対し、左からの破れ目は、上に行くときもあれば、下に行くときもある。
左からの破れ目が上に行ったなら、右からの破れ目に到達して、上端と下端の2つに紙が破断する。
逆に下に行ったなら、右からの敗れ目には到達せず、破断しない。
縦方向から見れば、紙の幅の中心1/3で、右からと左からの破れ目が重複している箇所が発生する。

物事を思考するにあたり、目的をどう定めるべきか、というアプローチと、なぜそれをするのか、というアプローチは、スタートが対極地点のものであり、かつ論理の進行方向が全く逆の方向なんだと思う。
だから、目的は何か(What?)の論理構築と、なぜ(Why?)の論理構築とが、歩み寄るんだけども、必ず同じ論理ルートであるとは言えない。言い換えると、論理構築のルートが交わるとは限らないと思う。

よって、着想のスタート地点こそ、発想・個性の形成を担う大きな別れ目になり得るのかなと。
では、WhatかWhyか、どちらを出発点とすべきか。
自分はWhy派だ。

2012年4月16日月曜日

ケビン・スペイシー無双「アメリカン・ビューティー」

10年以上も前のオスカー受賞映画「アメリカン・ビューティー」。
見たことがなかったんだけども、親類から勧められて、初鑑賞。
こりゃー傑作だ。




 テンポがよくてダレないし、ストーリーも相当引き込まれる作りになっていて驚き。こういう「何気ない生活」が面白いのは、ひとえに脚本の力だ。プロットのインパクトや見せかけの衝撃に頼り様がないのだから。ベースが日常生活なので一見テーマは味気ないのだけど、それが逆に良くて、一般鑑賞者から共感されやすかっただろう。ましてや、描かれる情景はモロに家庭崩壊。米国の中下流階級社会の慢性病になっているはず。この何気ない不安、やりどころのない孤独感は、正に現代の人々(アメリカ人だけでなく)にマッチしたものだと言える。
 そして、本作のケビン・スペイシーの何と素晴らしいこと!オスカーも納得。
 あと音楽もよかったな~。(グリーン・マイルと同じ「トーマス・ニューマン」納得。)



 美とは何だったろうか?
 この絶望的な日常に、美なんてあるのか?
 むかし存在していた美はどこにいってしまったのか?
 そんな事を考えた。(ちょっとオトナ帝国っぽい?)

 先の見えない不安と絶望の「日常生活」を送る人達に対し、別の視点を提起する映画。・・・というか、いつの間にか視点を変えていたのは自分なんじゃないか、とも思える映画。こんなのシャラ臭いとか、胡散臭いとか、現実逃避だとか、偽善だとか、開き直りだとか、虫酸が走るとか、そういう主張もあると思う。だから、この主張を鵜呑みにしろとは言えない。(というか、完全に鵜呑みにしてしまったら人としての前進が終わってしまうような気がする。)ただ、「こんな視点もある」って程度に軽く構えて見るのがいいなんじゃないかな。そうすれば、ちょっとだけ気持ちが楽になると思う。

日常生活を送る人々に、心の深呼吸をさせてくれるような映画だった。




2012年4月15日日曜日

ジェイソンのボディカウント(殺害人数)一覧表


 今年は13日の金曜日が何と3回もある!一昨日がその2回目だった。ちなみに次回は7月。それを記念してか(?)ジェイソンが今までの映画の中で殺してきた人数を一覧表にしたインフォグラフィックを発見。

Graphic: Friday the 13th – Jason Voorhees’ body count −NATIONAL POST−

 もう何がなんだか・・・。 

 ちなみに、このカウントが始まっているのが「Friday The 13th PartⅡ」からになっている。これは、初代13日の金曜日は、黒幕がジェイソンのかーちゃんだったっていうオチを反映してもの。一作目は、結構サスペンスフルな正統派ホラースプラッターだったと記憶してるんだけど、その後でジェイソンが実際に手を下すようになってからは、単なるボディカウント映画に成り果てたね。しまいにゃ宇宙にだって行ってしまうのだから。

 ジェイソンXがフレディVSジェイソンより後のカウントになっているのは、やはり時系列を意識した?


 ところで、自分はあまりスプラッター映画を見る機会が無いのだけど、「フレディVSジェイソン」はDVDを購入するほどのお気に入り。ホラーやスプラッターとしての楽しみではなく、エルム街とクリスタル・レイクの交わるパラレルワールドの面白さ、そしてフレディとジェイソンによる大興奮のガチンコバトルが最高に面白い!エルム街の悪夢と13日の金曜日について、ある程度の基礎知識が必要になるけども。



うーん、熱い。



2012年4月14日土曜日

キリアン・マーフィーの超常現象スリラー「Red Lights」

キリアン・マーフィー、シガニー・ウィーバー、ロバート・デ・ニーロが出演する映画、「Red Lights」。
超常現象を科学的に解明する研究者コンビ役の、シガニー・ウィーバーとキリアン・マーフィーが、超能力者のロバート・デ・ニーロへの調査を開始するが、「あれ、こいつだけはガチかも・・・」みたいなお話だ。
これは面白そうだ。



キリアン・マーフィーが爽やかな青年役をやっているのに若干の違和感・・・と思ったら、トレーラー後半ではしっかりブッ壊れてて安心(笑)



2012年4月13日金曜日

ジェダイばあちゃん


このテの個人製作ライトセイバー動画は死ぬほど投稿されてる。
検索すればあっという間に見つかるし、YouTubeからその後に次から次へとオススメされる動画を見ているとキリが無い。
ライトセイバーという武器がいかにアイコン的存在かが伺える。


これはまぁまぁかな。

2012年4月12日木曜日

中也の詩「湖上」


中原中也の詩のなかでも、これはとても分かりやすいし共感しやすいし、何よりリズム感がすごい。名作なり。



    湖上

ポッカリ月が出ましたら、
舟を浮べて出掛けませう。
波はヒタヒタ打つでせう、
風も少しはあるでせう。

沖に出たらば暗いでせう、
櫂から滴垂る水の音は
昵懇しいものに聞こえませう、
-あなたの言葉の杜切れ間を。

月は聴き耳立てるでせう、
すこしは降りても来るでせう、
われら接唇する時に
月は頭上にあるでせう。

あなたはなほも、語るでせう、
よしないことや拗言や、
洩らさず私は聴くでせう、
-けれど漕ぐ手はやめないで。

ポッカリ月が出ましたら、
舟を浮べて出掛けませう、
波はヒタヒタ打つでせう、
風も少しはあるでせう。


2012年4月11日水曜日

何かやっときゃ、何か起こる。




今回の「経験が情熱を生む」なる投稿は、ちょっとすごい。

”””
「行動」せずして「経験」することはない。
「経験」なくして「感情」は動かない。
「感情」なくして「情熱」は生まれない。
「情熱」なくして「継続的に何かを続けるモチベーション」は生まれない。
「継続的に何かを続けるモチベーション」なくして、難しいことを実現することは難しい。
”””





そしてさらに・・・、
漫画「げんしけん」より、オタクをヤメロと言われた斑目くんが、反論して放ったセリフ。


班目「無理だね。なろうと思ってなったもんじゃねぇからやめる事もできねぇよ。」



好きなことってのは得てしてそんなモノで、
行動の結果なのだ。



いまの仕事からも感じるけど、
自分に合ってるとか、合ってないとか、
仕事が好きだとか、嫌いだとか、
趣味があるとか、無いとか、
そういうのはあくまで後天的に定まるものだよ。

だから、こんなような前提で行動を縛っちゃいかんと改めて思う。


(なんだか、卵が先かヒヨコが先か みたいな議論だが。)


2012年4月10日火曜日

漢臭さ300%「キラー・エリート」


ジェイソン・ステイサム、クライヴ・オーウェン、ロバート・デ・ニーロ。

なんという濃いキャスティングなんだ。


2012年4月9日月曜日

ミシェル・ウィリアムズの為の映画「マリリン 7日間の恋」

 ミシェル・ウィリアムズ主演「マリリン 7日間の恋」を見た。
 完全にミシェル・ウィリアムズに賞を獲らせる為の不純な映画だったけども、思ったより楽しめて満足なり。同様に俳優賞が目的だったデカプーの「J・エドガー」と比較すると全然マリリンの方が良い。テーマが恋愛なので分かりやすいからか?

ただし、ジュディ・デンチの無駄遣いと、先行き不安なエマ・ワトソンにはちょっとガッカリ。




"1956年、マリリン・モンローは、ローレンス・オリヴィエ監督・主演作「王子と踊り子」の撮影のためロンドンに降り立つ。演技派への飛躍を胸に、本作に並々ならぬ意欲を見せていたマリリンだったが、彼女の学んでいた演技法はオリヴィエによって否定されてしまい、様々なプレッシャーから遅刻も常習化していく。おまけに、結婚したばかりの夫アーサー・ミラーは、情緒不安定なマリリンを持て余し、さっさと帰国してしまう。そんな中、撮影がはかどらず苛立つオリヴィエからマリリンの見張り役を命じられる第3助監督のコリン・クラークだったが…。"


 ストーリーを考えず、率直に言ってしまうと、マリリン・モンローが、「稀代のメンドクサイ女」であることがわかる映画。天然で悪気のない純真無垢さが見て取れるけども、これを普通の女性がやったら、単なるワガママ娘に見えてしまう。
 本作は、コリン・クラークの回顧録やその他の証言・史実を逸脱しないよう忠実に描かれているように見える。でも単純に描くのではなく、なんとか彼女のワガママ素振りを見えないように描こうと努力していたに違いない。それでも見えてしまう(というか、必然として描かざるを得ない)ワガママっぷりは、前後の関係性でうまく正当化できていて、最後はなんだかんだでスッキリする。これを脚本家の努力と言わずして何とする!?・・・でもアカデミー賞で脚色賞はノミネートされてないのね。確かにもっと脚色して面白くすることもできたでしょうよ。でも今のシナリオの方が「事実と言う名の"地"に足ついた」感じがするんで、好感が持てるし、リアルだと思うね。

 とはいえ、ハッキリ言って、というかヤッパリ、本作の魅力はミシェル・ウィリアムズに限る。正直ここまで凄いとは思ってなかった。完全にマリリン・モンローになりきっていたよホント。相当研究したんだろうなぁ。ストーリー展開はあくまでコリン・クラーク視点で見たストーリー(原題はMY WEEK WITH MARILYN)なので、ミシェル・ウィリアムズはある意味脇役と言われても仕方の無い立ち位置。そんな状況の中、ふと油断すると、ホンモノのマリリン・モンローが本人役で出演しているかのような錯覚に陥ってしまう。一見単なるワガママに見えそうなところを純真無垢に演じることができたのは、彼女の演技によるところが大きいだろう。

 共演する女優にジュディ・デンチがいるけども、彼女は完全にミシェル・ウィリアムズの引き立て役だった。最初の方に少し見せ場があるんだけども、暫く雲隠れ。忘れた頃にまた現れて「初恋は辛いものよ」的な事をコリンにささやくというチョイ役っぷり。今更アンタ何しに来たんや(笑)と心の中でツッコんでしまった。あの役はジュディ・デンチである必要はなかったね。とはいえ刺身にのった菊の花のようなもの。作品に添える華として一定の存在感はあったかと。

 反面、同じく共演女優のエマ・ワトソン。こちらは逆に「キミ大丈夫か?」と心配になる。全体を通して、表情が硬い。よく考えたら、彼女は子役から演技をしているのに、10年間の出演作はハリポタばかり。ひたすらハーマイオニーのみを愚直に演じてきたために、演技の幅がまるで無いんだ。なんと可哀想な。SWのルークやレイア姫の様に消えてしまわないことを祈る。ラドクリフ君を含めてね。
※ロンはハン・ソロ的位置なので生き残りそうだ。

 男優で言うと、ケネス・ブラナーのローレンス・オリビエが素晴らしかった。本当に素晴らしかった!・・・と思ったら、やっぱり彼も助演男優賞にノミネートされてた。あのクリストファー・プラマー本命な雰囲気はさすがに破れなかったか・・・。こっちの方がいい味だしていると思うけどなぁ。

 というわけで、キャスト中心に観察してみた本作でありました。


2012年4月8日日曜日

コミック版「キック・アス」


 クロエ・モレッツの映画「キック・アス」が気に入っていたので、原作コミック版を読んでみた。なかなか面白かった。




 大まかなアウトラインは映画版と同じだったけど、若干のディテールや結末が違っていた。この場合、映画がコミックの内容から変えて描いたという事なんだけども。

 悪く言えば地味、よく言えばリアルな展開。映画公開当時、コミック版と違うラストであることについてファンが憤慨したとか聞いたけども、気持ちがわかる。地味でリアルな点こそ、コミック版キック・アスの味だと思った。

でもこれでは、一般ウケはしないね。自分は好きだけども。

 なので劇場版は、原作のリアルさに着目しつつも、あくまで「ヒーロー映画」を目指して作ったんだろう。劇場版は何だかんだで「華」があるもの。(ここでいう華とはクロエ・モレッツだけじゃなく、キック・アスの活躍とか、演出とか、色々と含めて、ね。)
 原作の路線やボンクラ魂は、エレン・ペイジの「スーパー!」に受け継がれていると思う。(テーマはまるで違うんだけども。)



2012年4月7日土曜日

ライアン・ゴズリング主演「ドライヴ」



いやぁ、タイトルに騙された・・・。
これは、カーチェイスアクションでもなければ、クライムアクションでもない。

今すぐタイトルを「男道 〜ザ・生き様〜」に切り替えろ! と叫びたい。




"自動車修理工場で働く孤独で寡黙なその男は、卓越したドライビング・テクニックを買われ、映画のカースタントマンとして活躍する一方、夜には強盗の逃走を手助けする闇の仕事も請け負っていた。そんなある日、同じアパートに暮らす人妻アイリーンとエレベーターで遭遇し、一目で恋に落ちる。次第に距離を縮めていく2人。彼女の夫スタンダードは服役中で、今は幼い息子との2人暮らし。ほどなくスタンダードが出所してくるが、彼は服役中に多額の借金を背負ってしまい、強盗を強要されていた。男は妻子のためにスタンダードの強盗計画のアシストを引き受けることにするのだが…。"


 ドライヴと名乗るからにはカーチェイスが凄い映画なんだと思っていたけども、実際見てみると何だか微妙で、「迫力が有るんだか無いんだかよくわからない」感じがした。アクションシーンもそれほど多くなく、かなり地味。ただやたらと血の描写がリアルだった印象が強い。

 では、結局よくある凡作だったのか? と聞かれると、それはNoだ。見る人を選ぶけども、一部の人間には大ウケする快作だと断言する。

 本作で丁寧に描かれているのは、主演のライアン・ゴズリングとキャリー・マリガン親子との交流だ。そして逆に、その他のシーンは義務的に描いているようにしか見えない。(カーチェイスは一応凝ってたトコあったけども。)よって本作のジャンルはあくまで「ドラマ」をして見るべきものと心得るなり。

 そうやって振り返れば、作品の作り方をスンナリと受け入れることが出来る。
 たとえばカーチェイス。ドライヴ全体を通じたクルマの演出からは「追われている緊迫感」が伝わってくるのがわかる。これは、「追われるドライバー(ゴズリング)及びその車内」のみを重点的に写し、クルマの動きを第三者視点から見せるシーンや、追ってくるクルマのドライバーの視点を映すシーンを極力除外した、「FPS的(First Person Shooter)カーチェイス」になっているからだ。これによって、主人公の緊迫感を観客も一緒になって共有することができていた。
 そしてバイオレンス。暴力シーンに時間を割かない代わりに、血の描写をショッキングにさせることで、緊迫感を描くより、「印象効果」を際立たせることができている。バイオレンスは、描写というより、ストーリー上のマイルストーンとして機能していた。起こった事象を物語の相対基準を定める機能のみに絞ったことで、ゴズリングとキャリー・マリガンの心の交流よりも目立つことなく、むしろ引き立て役としてのみその存在価値を発揮させていた。
 脚本は緻密度は薄く、伏線も弱い。でも、2人の交流には、否が応でも心安らかになってしまう。「人」重視の脚本と言える。
 これらの要素が合わさることで、ゴズリングの「好きだけど身を引く、見を引くけど、命をかけて守る」という、男の哲学の極地を重厚なものにさせたと思う。

 以上の状況証拠から、監督が描きたかったのは、「孤独で孤高で不器用な男の人生に、瞬間だけ、輝り輝いた瞬間」であると考える。運転が物語のキーだったかというと、否でしょう。

 じゃあこれが名作かと問われると、困ってしまう。作品としてのポイントを非常に限定的な場所に置いてしまった分、栄養バランスが悪い偏屈映画と見られてしまうから。監督としては「やりたいことやってやったぜ!」って実感はあるのかもしれないけど、万人ウケするとは決して言い難いんじゃないかな。作品全体を通して表現されるのは、「タクシー・ドライバー」に象徴される様な70年代〜80年代の雑多なアメリカの風景と、当時の時代を彷彿とさせるBGMだ。現代の映画としては浮いているけども、「あの時代の、あの雰囲気」が好きな人にはたまらない。そしてそういう人は得てして、本作のような「孤高の男」の映画が好きである場合が多い。なので、本作を人に勧める時には、その人が好きそうかどうか注意して勧める必要があるね。

 人はともかく、自分はどういう感想を思ったか。そんなもの「大好きだ!」に決まっている。カウボーイビバップに通ずるシブさを5感を通して感じ取ることができた。自分が映画を評価するときは、見終わった後の余韻重視する。見ている時より、見終わった後にジーンとしてきた本作、間違いなく自分にとっては快作と断言できる!


<ネタバレ注意>
 何が一番良かったかって、愛する女の為に、愛する女の前から姿を消したラストが素晴らしく心に響くんだよ!!!


<余談>
ロン・パールマンはヘルボーイにしか見えない。



2012年4月6日金曜日

記号としての「あの頃ペニー・レインと」(酔)


なぜか、ふと「あの頃ペニー・レインと」の事を思い出した。



 この映画は、世間ではあまり評価されていないらしい。映画としての完成度に問題があるからだろうか。しかし、一部の人間には「青春のランドマーク的作品」として、強い意味を持ち、深く記憶に残っている。少なくとも自分にとっては、「スタンド・バイ・ミー」に勝るとも劣らない記念碑的作品。

 映画(特に恋愛系)の好き嫌いは、端的に言ってしまうと、主人公に共感できるか、より具体的には、主人公と同じ経験をしたかどうかが、作品を好きになれるかどうかの分かれ道になる。すなわちペニー・レインの場合で言うと「年上の、少なくとも相対的に大人である女性に対し、恋心と憧れの心が入り混じった複雑な感情」を抱いたことがある人は、この映画が好きになれる。

 一般的な青春恋愛映画は、そのアウトラインが普遍的であるため、広い解釈が可能なので、映画を見た人がどんな人でも、各々の経験と同期しやすい。一方、このペニー・レインにおける複雑かつ限定されたシチュエーションは、解釈の範囲が比較的狭いため、その状況を経験した人間だけしか共感することができない。逆にファンを選んでしまう。

 だから、この映画を万人が好きになれるとは到底思えない。しかし、この映画のケイト・ハドソンを見ると、あの輝かしくも切ない日々を思い出してしまうんだ。




2012年4月5日木曜日

ウディ・アレン監督「To Rome With Love」

007風に訳すと「ローマへ、愛をこめて」とったところか。

個人的には、ウディ・アレン監督より、ややブス若手演技派コンビの共演の方が気になる。
(ジェシー・アイゼンバーグとエレン・ペイジ)




ヒーローごっこの途中で命を落とし、16歳にして母親となり、性犯罪者の去勢を生業とし、偉大なる夢想家の、ブス専発狂エレン・ペイジ嬢の新作に期待。



2012年4月3日火曜日

正に「ダニー・ボイル版007」!


これは・・・。



なんという夢企画!!

記事にもあるように、ロンドン五輪の芸術監督は、ダニー・ボイル。
これはもはや「ダニー・ボイル監督による007の新作」と言うに相応しい!

英国って、昔から女王が鎮座する歴史があるからなのか、「女性が要職に付き、男を従える」という構図がすごく合うように思う。サッチャーにしろ、近年の007におけるMにしろ。これは文化レベルの刷り込みかな。さすがジェントルメンの国。英国紳士の名は伊達じゃない。




2012年4月2日月曜日

さよならBlackBerry?


久々にシビれた記事。



 ブラックベリーは欧米におけるスマートフォンの先駆けだったのに・・・。
オバマ大統領が普段から愛用しているとして話題になったのが、もはや数年前。思えばあの頃が一番の花盛りだったのかな。
 デキるビジネスマンの象徴だった。カッコよかった。マイレージ・マイライフでは、ジョージ・クルーニーとヴェラ・ファーミガがプチプチと連絡を取り合うのに利用してた。憧れた。

 記事にもあるように、GoogleやAppleはビジネスニーズ獲得を順調に拡大していて、ブラックベリーのお家芸は既に珍しいものでもなんでもない。今や軍用にiPadが採用される時代だ。もはや彼らの強みは強みでなくなった。

 どうしてこうなってしまったのか。

 ITの世界はドッグイヤーな時間感覚なので、数年で栄枯盛衰が入れ替わる。日本の一般企業、歴史ある大企業なんかが何十年かけて歩む道のりを、RIMは数年で駆け抜けてしまったのかもしれない。つまりRIMは、腰が重く変革を起こす力の無い大企業の行く末の「縮図」を示しているのではないか?

(ちょっとだけ大ドンデン返しを期待しつつ)RIMから僕らは何かを学ばないと。

・・・なんてね。


2012年4月1日日曜日

ベスト・オブ・エイプリルフール2012


これっきゃないでしょう。
あらゆる小ネタが笑撃なり。




ドラクエ風GoogleMaps。本当に発売するのかと思った。