2012年11月1日木曜日

ハンガー・ゲームは気の抜けた炭酸だ

全米で大ヒットを記録したティーン向けサバイバル映画「ハンガー・ゲーム」
設定がバトル・ロワイアルに似ているってことで、
日本では「US版バトル・ロワイアル」なんて表現がされているけど、
雰囲気も作者の意図も、バトロワとはかなり違ってた。
どっちかっていうと、イキガミに近いような。


つまらないわけでは決して無く、ハラハラする箇所も適時盛り込まれてる。
まぁ、娯楽として及第点だ。

・・・のはずなのに、何かしっくり来ない。
やっぱ全体的な雰囲気がヌルくて殺し合いって感じがせず、
非現実的に見えるからかな。
何せ、僕ら日本人は既に「バトル・ロワイアル」に出会っているのだから。

ヤングアダルト小説が原作だから、
入場年齢制限のラインを可能な限り低くしないといけないので、
過激な演出はできないのはわかる。
それを補うため(・・・かどうかは分からんが)現代社会や学園における
諸問題をメタファーとして脚本に取り込む努力をしているのも分かる。

でも、ハンガー・ゲームで描かれる戦闘が「殺し合い」じゃないことは
映画玄人やバトロワ経験者の日本人なら一発で見抜けるので、
どうしてもそこがピンと来ない。

彼らが何を目的に戦っているのかが分かり辛く、(生き残りたいのか、馴れ合って逃走したいのか、等。)プレイヤーの行動原理が掴めないのも問題かも。

うーん、こちらの見方がひねくれてるのかな?





<以下、ネタバレ小言>

とにかく、前半後半通して、コンスタントにヒマ時間があって辛い。
前半なんてウディ・ハレルソンの戦術が上手く行きすぎで終始イケイケなので、
何か釈然としない。

殺し合いが始まってから、生き残り人数が何人かよく分からないので、
緊迫感が伝わらない。鑑賞者に大砲の数を都度数えさせるつもりか? 
特にラストの自殺云々のくだり、
District12の2人が残りの2人って事に気づかなかったし。
そんでもって、あそこで自殺させて「勝者なし!」だと
具体的にどういう問題になるのかわからないので、
ジェニファー・ローレンスの賭けの巧妙さが伝わらないんだな。

スクリプト領域の違和感は原作譲りなんだろうが、困った困った。
まぁ、ヤングアダルト小説はこんなものか。


結論:リアム君が可哀想だぜ、このビッチ!!


2012年10月16日火曜日

アウトレイジ・ビヨンド 〜人付き合いのバランス〜




アウトレイジ・ビヨンド、とても面白かった!




世間では、「前作より格段に良くなった!」という論調が目立つ。
確かに、1作目より「ビヨンド」の方がストーリー展開が良かったかな。

でも個人的には、1作目も「ビヨンド」も両方同じく面白い。
だって、アウトレイジの楽しみ方は、ドラマ性や暴言合戦だけじゃないから。





アウトレイジのウリと云えば、
バカヤロー・コノヤローの連呼連発、そして血みどろのエグい残虐描写でしょう。
ライトな映画ファンがアウトレイジを毛嫌いするのは、
この辺りの表層部分が受け入れられないからだ。


確かに、彼らは異常な世界を生きている。
でもだからといって、彼らの「思考回路」が異常かというと、そうではない。
暴力描写を抜きにして、単純にドラマツルギーだけ追っていくと分かる。
彼ら登場人物は、ヤクザの世界の法則・価値観・人間関係を、
極めて論理的に、理性的に、ビジネスライクに処理してる。

”ここまでやったら、こっちは何をする。”
”こっちは何をするから、相手はどこまでどうする。”
”ここまで来たあたりで、相手の裏をかく”
これら組同士の争いは、国家間の外交や、企業競走を思わせる。
そして、ちょっとでも欲を見せようものなら、瞬く間に殺されるあたりは、
相手への誠意がいかに大事かを改めて感じる。木村だって、欲を見せたんだし。
この微妙な因果応報的な「バランス感覚」が、
狂気の罵声の中に心地よさを与えてくれるんだ。

彼らは決して異常者でもサイコパスでもない。
僕らと少しだけ世界観が違うところで生きている”常識人”なんだ。



いやいや、それどころか・・・
常に覚悟を決め、
日常的に死を想い、
責任を感じ、
ここぞという時に勝負をし、
自らの過ちには潔くケツをまくれる人達が、いかに清々しいかが見て取れる。

逆に、素晴らしい人達だよ。

組同士で騙し騙される展開が怖い?なるほど、そりゃそうだろう。
でも、それは僕らの日常も同じじゃないか。
ウワサ話が好きな近所のおばちゃんが、
見えない所で僕らの陰口をたたいているかもしれないだろう?
会社で、
自分にどのようなレッテルが貼られているかなんて、わからないだろう?
人間みんな、裏じゃ何を言われているか分かったもんじゃないよ。


アウトレイジは、鑑賞者それぞれの「恐怖の日常」のメタファーを含んでいて、
その中で我々が、どのようなスタンスで向きあえばいいのか考えさせられる作品だよ。
(ちょっと救いが無さすぎかもしれんが。)

勿論、脚本を北野監督が書いているからそうなるだけであって、
本物のヤクザの実体なのかは別の話かな・・・。




まぁこんなところだけど、
加えて言うなら、キャラクター性も魅力的。
全員悪人のアウトレイジだが、それぞれの俳優が、
各人の個性をうまく生かした悪人演技をしているように見えて、とても良い。

1作目で言えば、椎名桔平、北村総一朗、
「ビヨンド」なら、花菱側を演じる西田敏行と塩見三省がお気に入り。
両作通じて言うなら、加瀬亮や小日向文世も、自身のキャラとイメージがマッチする。

とくに「ビヨンド」での花菱の2人は強烈に怖い。
塩見演じる中田は、見た目からして完全に本職でしょう。
一方、西田演じる若頭・西野は、
体をユラ〜リと揺らし、首と肩がダルそうに傾いているところが秀逸。
不気味さを感じて寒気がした!

彼らのキャラ性と、丁々発止の暴言連発。
かっこ良すぎるね。
予告編やポスターが、まるでヒーロー映画のように本当に素敵だ!

こんなに良いキャラを作っているのに、
ストーリーが進むに連れて、
主役級の名優達がゴロゴロ死んでいくのは圧巻。(前作も同じか・・・)
でも、もし次回作があるのなら、また新しいきゃストを加えればいいだけの話か。

アウトレイジシリーズは、日本映画におけるエクスペンダブルズなのかもしれない。
名優を消耗品軍団に変える映画ってな。
 

2012年10月1日月曜日

ボーン・レガシー 〜この世は全て相対評価〜


<ネタバレあり>


ボーン・レガシーは、つまらないわけじゃない。
一応、おもしろい。
でも、ボーン・アイデンティティーと同程度。まぁまぁな作品。


ボーン・アイデンティティーは、
マット・デイモン/ジェイソン・ボーンの1作目。
今回も、ジェレミー・レナー/アーロン・クロスに主役が入れ替わって1作目だ。
本作がまぁまぁでも、前と同じ状況じゃないか。


・・・とは、いかないだろうな。
多分、めちゃめちゃ批判されると思う。


本作が「マズい」のは、
シリーズ1作目の”アイデンティティー”以後に続いた、
”スプレマシー”、”アルティメイタム”といった傑作アクションを踏まえた上での、新たなるスタート!!

・・・という位置づけだった点だ。
”アイデンティティー”とは置かれた状況が違っていて、かなり分が悪いよ。
批判に耐えてくれよ?ジェレミー・レナー!!



この”レガシー”。何が悪いって、シリーズの大黒柱たる脚本が悪い。
ボーン・シリーズとしては致命的。
”スプレマシー”以後極まってた「論理・必然・現実感」の神シナリオが、
明らかに劣化してる。


前三部作は、ジェイソン・ボーンの完璧な判断力と戦闘力が魅力だった。
しかし今回、
アーロン・クロスの判断力や戦闘力が完璧なのかどうか、よくわからない。
動機やシチュエーションの描き方が雑で、
観客が状況を掴み切れない状態のまま話を進めてしまうから、
アーロンがどれだけ凄い判断力と戦闘力を見せつけても全然伝わらないんだ。


例えば、
アーロン・クロスの行動動機である薬のくだりとか明らかに説明不足・伏線不足だし、
リック・バイヤー(エドワード・ノートン)の設定や位置づけがピンとこないし、
研究所で暴れた所員の説明が雑すぎるし、
アーロンを追う敵工作員が、全然怖くない。つうか、白い歯見せながら怒って追跡する姿が人間兵器に見えずショボイ。「ボクチャンもう怒ったぞゾ!」って言ってる気がするんだもの。スゲー小物っぽい。
etc....

こういう細かいツッコミどころは、どんな良作にも1つ2つはあるものだけど、
多くなればなるほど、観客はついていけなくなり、
ストーリーが観客を置き去りにしてしまう。
だから無視はできない。

監督のトニー・ギルロイって
”スプレマシー”や”アルティメイタム”で脚本やったはずだが。
監督業やって、ヘンな折り合いつけちゃったのかな?
やっぱりポール・グリーングラスの帰還を願うしかないか。(・・・無理だろうな)

つまり、
ボーン・レガシー凡作になってしまったのは、裏方の責任だ。
しかも、前三部作との比較の結果、相対評価としての凡作。


だから・・・俳優陣は悪くない!
ジェレミー・レナー自身はしっかりやっててカッコ良かったと思うし、
レイチェル・ワイズも、さすがオスカー女優だと思った。

まぁ、レイチェル・ワイズ/シェアリング博士のパニック演技は正直ウザイけど、
あれも脚本のせいだ。
彼女の心の傷を大して描いていないクセに、パニックシーンだけ妙に長くて、
クドイんだ。


あー、この感じ、ダークナイト・ライジングと同じだ。

このやるせない感の矛先を何処へ向ければ・・・?


2012年9月29日土曜日

踊る大捜査線 THE FINAL

救いようがない。

ただこの一言に尽きる映画だった。

いや、こんなの映画じゃないよぅ!

話に付いて行くのがやっと、という難解なストーリーなんだが、

難解さの理由をよく考えると、自分の理解度ではなく、理解不能な脚本が問題なんだよね。

うん。


2012年9月25日火曜日

「桐島、部活やめるってよ」と、自分。


「桐島、部活やめるってよ」について、前回の続き。


ネットに溢れる「桐島」の感想を見ていると、
みんなが「これは俺の映画だ!」と、ガッツリと感情移入しながら絶賛している。
といっても、人それぞれが、
異なる登場人物に親しみを抱いているようだ。

客観的に批評するなら、
この物語の中心は宏樹だ、・・・というのが多分正解。
でも、僕らみたいなヒエラルキーの下層に立つ人間にとっては、
前田が物語の中心であってほしい、なんていう願望混じりの感想になってきてしまう。

観る人に考えさせ、それぞれの心の中に、
独自の「桐島、部活やめるってよ」という作品を生んでいるように見える。


先日、原研哉先生の談話をUSTREAMで見る機会があったんだが、
この桐島批評に通じる事を言ってた。

「良い製品とは、計算し尽くされた「空の箱」のようなもので、ユーザーそれぞれが箱に自分の要素を入れて、自分用にカスタマイズしながら利用されていくもの。例えばiPhoneがその典型。iPhoneを使い続けると、"自分"をデバイスの中に詰め込んでいくことになり、次第にデバイスが自分そのものとなってしまう。」(だいぶ記憶が曖昧だが。)

映画やアートだろうと、大量生産の工業製品だろうと、
人に認められるものとは、人に受け入れられる過程で形を変えて、
最終的に、その人の一部を形成するに至るものってことか。


そんな事を考えながら、改めて自分の過去を振り返ってみたが、
「桐島」の登場人物を使って、正確に言い表すことができると気づいた。

昔から自分は、
前田の階層に腰を落ち着け、
宏樹のように空っぽな生き方をしていたのに、
竜汰のいるヒエラルキー上位階層に憧れ、這い上がろうともがいていたなぁと。

自分の趣味に対し、前田ような情熱が持てない宏樹状態だったので、
安易ながら、綺羅びやかな竜汰の世界に憧れてしまい、
イカロスのように羽をこしらえ、羽ばたこうとした。

でも、自分の身の丈を誤り、無理に這い上がった結果、
その想像以上に眩しい世界に押し潰された。
ロウで固めた鳥の羽は、瞬く間に溶けていった。

前田の立ち位置に共感しつつも、
実は、前田・宏樹・竜汰とが形作る「三角地帯」の真ん中で、
宙に浮いた人生を送っていたことを教えてくれた「桐島」。
その解釈ができた途端、この映画は自分にとって他人事じゃなくなった。

そして、きっとどんな人にとっても、他人ごとじゃないだろう。
人それぞれ、イタイ思い出や、知られたくない過去の1つや2つ、
必ず有るもの。
桐島は、その思い出を、多様な登場人物を通じて、
巧みに見つめ直させてくれる、
本当に素敵な映画だ。

そう、「桐島」の登場人物は、
みんなが自分の中にひっそりと隠し持つトラウマの幻影なんだよ!!

ΩΩΩ_Ω<な、なんだってー!?



2012年9月12日水曜日

「桐島、部活やめるってよ」と「エレファント」と「明日、君がいない」


「戦おう、僕達はこの世界で生きていかなければならないのだから。」

「桐島、部活やめるってよ」において映画部が製作した自主映画「生徒会・オブ・ザ・デッド」に出てくるセリフだ。
”この世界”とは、見えない階層構造で分断された学校生活であり、
引いては、人間社会全体を指す。




・・・世間を賑わす「桐島、部活やめるってよ」についての議論。
事前情報では、黒澤明の「羅生門」のような展開である!との話があったけども、微妙に違う。既にかなりの人が言及している通り、どちらかと言えば「エレファント」や、「明日、君がいない」の影響を受けているのがわかる。



>「エレファント」 allcinemaの作品紹介
”1999年に起きた米コロラド州コロンバイン高校の銃乱射事件をモチーフに、「グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち」のガス・ヴァン・サント監督が、事件が勃発するまでの高校生たちの一日を淡々と描いた青春ドラマ。なお、本作は2003年カンヌ国際映画祭でパルム・ドールと監督賞のW受賞という史上初の快挙を果たした。”




>「明日、君がいない」 allcinemaの作品紹介
”10代の若者が抱える深い悩みをリアルかつ切実に描き出しカンヌで話題を集めた衝撃作。これがデビューのムラーリ・K・タルリ監督は、友人を自殺で失った半年後、自らも人生に絶望して自殺の道を選ぶが、幸いにも一命を取り留めたのをきっかけに、弱冠19歳で本作の製作に取り組み、2年の歳月をかけて完成させたという。それぞれに悩みを抱えたごく普通の6人の高校生に焦点を当て、そのうちの1人が午後2時37分に自殺するという事実を前提に、彼らの1日をそれぞれの視点から描き出していく。”




この2作、そして「桐島、部活やめるってよ」は、全てハイスクールが舞台の作品で、「同じ時間・シチュエーションを、その場にいた登場人物それぞれの視点で何度も描く」という手法を使っている。この手法の先駆者は、すでに過去にも何作かあったんじゃないかとは思うけど、(実際、ベースにある過去の映画があると監督も言っているし、パルプ・フィクションも同型。)まぁ類似点の多さからして、まず「エレファント」があり、それに追従したのが「明日、君がいない」と「桐島、部活やめるってよ」かな。いずれも、クラシック・ミュージックがスパイスになってるし。


エレファントのガス・ヴァン・サント監督のインタビューによると、「エレファント」は殆どを俳優のアドリブで演じさせ、台本からのセリフは最低限としたらしい。これによって、特定の誰かに感情移入することのない、すなわち悪役のいないストーリーの実現を試みたのだとか。かなり実験的ではあるものの、ごく平凡な日常をドキュメンタリー的な雰囲気で描くことが出来ていたと思うので、これは大成功でしょう。

で、その数年後に発表されたのが、「明日、君がいない」という作品。
この作品は、エレファントとは逆で、登場人物達へ各人の主観を植え付け、表面・内面の両側から計画的にドラマを仕立てたことで、学生の誰もが持つ「人に言えない悩み」に苦悩を際立たせ、鑑賞者達を積極的にグイグイ感情移入させる事が目的だった。
「明日、君がいない」のオチは本当に辛い。全員に感情移入してしまうから、軋轢とすれ違いばかりの学生生活、そしてその内部のヒエラルキー構造に絶望する。娯楽性とメッセージ性を両立させた傑作だと思っている。



・・・で、今回の「桐島、部活やめるってよ」は、これら2作、特に「明日、君がいない」を日本の高校の雰囲気を下地にリメイクしているような感覚に近い。日本の高校ならではの”あるあるネタ”がふんだんに盛り込まれていて、誰が見ても懐かしく、面白い(辛い?)と思える内容だ。
そしてラストでは、「エレファント」や「明日、君がいない」以上に興奮を覚えてしまう。それは、過去2作には無い”善のカタルシス”が放出されているからだ。学校内ヒエラルキー構造に対する問題提起をしつつ、それに対する解答を示している。





そのキーパーソンになっているのが、映画部部長の前田(映画ガチオタ)だ。

詳細はまた別途まとめたいけども、
原作の小説は、各章ごとに別の学生を主人公を設定するオムニバス形式をとっている。しかし監督、脚本ではそのシステムを一度破壊し、前記の通り「同じ時間・シチュエーションを、その場にいた登場人物それぞれの視点で何度も描く」形式を取った。だから「桐島」の批評において「登場人物それぞれの視点が多様で、解釈や味方も多様」なんて語られ方をしている人がちらちら見られる。

でもよく見ると、明らかに前田の存在を話の中心に置いている。それはオチからしても明らかだ。
実はこの映画の”真の視点”とは、前田のいる学校内ヒエラルキーの最下層から、上層にいるジョック共を見上げるところ・・・だと思う。

だから、この作品を愛することができるかどうかは、前田というキャラクターにどれだけ感情移入ができるか、にかかっている。すなわち、ヒエラルキーの最下層にいる人間の立場を、自分のことのように理解できるかどうか、もっと直接的に言えば、最下層を経験したオタクほど、この作品を愛することができるって事。


つづく。


2012年9月5日水曜日

実写版「るろうに剣心」に見る”左之助不要論”


誰もが期待していなかった、実写版るろうに剣心。予想外の面白さに歓喜した人が多いようで、原作ファンとしては嬉しいラプライズだったよ。全てが完璧の大傑作とは言わないにしても、十分楽しめる出来栄えなので、まだ見ていない人がいたら、是非オススメしたい。

この作品を観て、原作に対する新たな知見を得たと感じた部分がある。それが主題に書いた「左之助不要論」

映画を観て「左之助の役どころが中途半端でよく分からない」という不満を感じたんだよね。つまり、剣心と一緒に戦っているという事のみしかストーリー上のカラミが描かれないので、お話の異物・脇役のように見えるってこと。

相楽左之助といえば、小学生の誰しもがマネした憧れの技「フタエノキワミ、アッー」の使い手。ファンも多いし、幕末の志士達と互角に戦う姿がとてもカッコイイ。そんな左之助をイラナイ子みたいに扱うなんて、実写版のシナリオはヒドイ!・・・と言いたくなるけど、じゃあ原作で彼は本当に必要な子だったか・・・? 

原作るろうに剣心の根底に流れるテーマは、多分こんなイメージだと思う。

第一部 鵜堂刃衛、武田観柳&御庭番衆、雷十太 >正義に生きる元人斬りの活劇。
第二部 志々雄真実 >人を守る新たな人生への目覚め、生への渇望。
第三部 雪代縁 >人斬りとしての人生の贖罪と決別。

左之助は、赤報隊の悲劇を通して幕末・明治の混乱を訴えた、メッセージ性の強いキャラではある。でもそれが描かれて以降、彼は単なる戦力ぐらいにしかなってないんじゃないの?

神谷薫は、剣心の今を支える重要な役。明神弥彦は、明治という新たな時代を誇り高く生き抜こうとする次世代への希望を体現する役。高荷恵は、薫の葛藤を支え、励ます役。斎藤一は、単にライバルというだけでなく、幕末の混乱期の哲学を持ち、剣心の過去の足かせとなる象徴的な役。

さ、左之助は・・・?

赤報隊の話は、第一部に描かれる単発エピソードとして価値を持つけど、その後の展開にワザワザ脚を突っ込まなくても・・・いや、脚を突っ込まない方がいいんだよね。

バカなことを言うな・・・って? いやいや、それを四乃森蒼紫が証明しているんだよ。実写版では、原作の単発エピソードで描かれていた四乃森蒼紫の存在がゴッソリ削ぎ落とされてたことによって、シナリオの発散が最小限に抑えられたんだよ。おかげで、鵜堂刃衛のクライマックスを通じて、「人斬りの過去と不殺(殺さず)を誓った現在との葛藤」という一貫したテーマを、ブレずに根底に据えることができた。四乃森蒼紫は不殺と関係無いからね。・・・そしてそれは、同じく単発エピソード向けのキャラである左之助も同じなんだ、ホントに。

こう考えると、左之助が映画の中で浮いてしまう原因は、映画ではなく、そもそも原作側にあると思うわけ。この点はを映画で整合をとらせるな、左之助の存在をばっさりカットするのが一番手っ取り早いはずだけど、キャラはカッコイイし、ファンも多いからね、消す選択肢は無かっただろうね。 

 せっかくなので、次回作で、「フタエノキワミ、アッー」の実写化に取り組んでもらいたい。青木崇高自身はハマッてたしね。

そんな感想だった。


2012年8月13日月曜日

ダークナイト・ライジングを絶対に認めたくない理由

※ ネタバレ注意


 2012年度のウルトラメガトン級超絶期待作として鑑賞した映画「ダークナイト・ライジング」。クリストファー・ノーラン監督が手がけるバットマン映画の3作目にして完結編。前作ダークナイトの衝撃から4年。僕が長年貯め続けた本作への熱意は、結局・・・大きく裏切られてしまったと言わざるをえない。

 各所で囁かれているように、本作は脚本上、物語構成上の技術的不具合が数えきれない程に存在する。見ていて本当に辛かった。
(”奈落”を脱出したブルース・ウェインはどうやって孤立したゴッサムに入ったのか問題、ベインの市民革命モドキは何の意味があったのか問題、前作でブルース・ウェインは市民による自警行為を批判していたのに本作ではマスクを被ればみんなバットマンになれるなんて事を言って奨励してた問題など)
・・・ただ、何と言っても一番「勘弁してくれホント・・・。」って感じたのは、前作ダークナイトで描かれた平和に対する考え方や価値観とは真逆の結末を描いている事だ。


 ダークナイトで多くの人に衝撃を与えた事というのは、カオスの使者を自称するジョーカーの揺さぶりにより明らかになった「理性や倫理の薄っぺらさ」だと思う。言い換えるならは、バットマンやゴッサム住民の内に秘める、汚い欲望を、心の表面に炙り出し、「自分若しくは自分の大切なものを維持・保持するためには、他人の不幸など知ったことではない」という考え方を白昼に晒したんだ。

例えば・・・
 >ジョーカーによる、「バットマンは名乗り出ろ、さもなくばゴッサムの住民を毎日殺していくぞ!」という脅迫に対し、ゴッサムの世論は一気にバットマンをスケープゴートにする方向へ動いた。
 >ジョーカーはバットマンを罠にはめ、「デントとレイチェルどちらかは助かるがどちらかは死ぬ」・・・と選択を迫った。バットマンはここでレイチェルを迷わず選択し、ジョーカーに指示された監禁場所へ向かったが、実は指示した場所はデントの監禁場所で、レイチェルは救出されずに死亡した。つまり、どちらを選択しても、欲しい方は手に入らない状況として、選択=私欲への罰を与えられてしまった。
 >バットマンとの戦いに楽しみを見出すジョーカーは、TVで「バットマンの正体に感づいた男リースを殺せ、さもなくば市内の病院を爆破する。」と呼びかけ、病院患者の身内の人間達が一斉にリースを殺しにかかってきた。
 >2隻のフェリーに、それぞれ一般市民と犯罪者が輸送され、フェリーを航行不能とし、互いを爆破することができる起爆スイッチを持たせ、「12時までにスイッチを押さなければ両方爆破する。相手を爆破すれば助けてやる。」と言い、「自分だけは助かりたい!」という人間の本性を暴こうとした。※これは失敗
 >そして特に重要なのは、デントの末路だ。地方検事ハービー・デントはジョーカーの策略により、光の騎士とまで称された正義の心を悪用され、心に潜む闇の部分を引きずり出されてしまい、コインの表と裏で人の生死をジャッジするトゥー・フェイスと成り果てた。


 ・・・などなど。人の心はエグいことこの上ない。
 このジョーカーの行動により、平和で秩序だった世界というのは、実はちょっとした揺さぶりによって簡単に崩れ去っていくものだという事が証明されてしまった。そしてジョーカーは、そのカオスにこそ人の本質があるかのように振舞った。

 しかしそれでは、平和に過ごせる未来は一生やってこない。平和がどんなに薄っぺらい建前上の倫理だとしても、かと言ってカオスを認めると、人の不幸につながるし、何より悪人が報われる世界を肯定することになってしまう。
 ここでバットマンは、デントが犯したすべての殺人の罪を自分が被り、デントを通じて人々が平和を望んだ思いが報われたように見せかけることを選んだ。でもこれは、事実ではなく嘘だ。他人を騙す悪の発想だ。すなわち、悪の力から平和を守ったのは、やはり悪なのだ。バットマンの自警行為に対する考え方・価値観とは、「日の当たらない闇の中で、非人道的手段であれ悪は排除しなければならない、そしてそれによって、たとえ薄っぺらくとも人々が安心して暮らせる平和を維持しなければならない」という事にあった。正義と悪を明確に区切ることなんて実は出来ない。結局のところ、どちらも変わらないのではないか。ダークナイトは、そんな問題提起をしてきたんだ。

「彼はヒーローではない、沈黙の守護者、我々を見守る番人、闇の騎士<ダークナイト>だ」

ゴードンのこの名台詞こそ、なぜダークナイトが多くの人の心を掴んだかを教えてくれるセリフだ。



そ れ な の に・・・だ!!


 このダークナイト・ライジングでバットマンは、文字通りRiseして、「光の騎士」になった。具体的には、デントの悪行をベインがばらしてしまったことで、逆に「バットマンこそ市民を守ったヒーローだった!」という認識が浸透し、汚名返上したのだ。映画のラストには、バットマンを記念した銅像すらも立てられる。
 これは言い換えるなら、前作ダークナイトのラスト時点でのバットマンとデント立ち位置が入れ替わり、バットマンが「正真正銘のヒーロー<光の騎士>」になったってことだ。主人公の努力がみんなに認められてよかった!!・・・というラストではある。絵に描いたようなハッピーエンドだ。

 それを裏付けるかのように、バットマン役を演じた俳優クリスチャン・ベイルのインタビューでは、以下のように解説されている。

 ”今回の彼もやはり肉体的、精神的に傷を負っている状態。前作で自らが選んだ決断のせいで苦しんでいるんだ。ゴッサムシティの希望のために選んだ道として短い間は問題なかったが、真実はやがて白日の下にさらされる。ブルースにとっては人生で最も厳しい時を迎えることになるんだ。自責の念に押し潰されるんだよ。そして、バットマンは姿を消してしまうのさ。” −MOVIE ENTERより抜粋−

 つまり、ダークナイトでの判断は一時しのぎであり、長い目で見れば間違った状態であったってことだ。俳優は、演じる際に必ず監督から演じる役についての説明を受けているはずなので、ここで語られていることは、恐らく監督クリストファー・ノーランの考えにも繋がると考えていいだろう。

・・・でもね、本作のタイトルは「ダークナイト・ライジング」だよ!?

 前作で「俺はヒーローじゃない」。「彼はヒーローじゃない」。・・・と散々セリフで言いまくって「ダークナイト」としての特殊な存在価値を大きく担ぎあげたクセに、本作になって「それは偽りで一時的なものでしかなく、あるべき姿じゃない・・・」なんて事言われても困るんだよ。だって僕は、ダークナイト・ライジングで否定している闇の騎士としての哲学・存在価値に心を震わせたから、ノーラン版バットマンを愛するようなったんだよ。逆に、ライジングの結末は、ダークナイトでジョーカーが否定していたことじゃないか。

 なのに、悪は悪でやっぱりダメってところに落ち着くって・・・
前作で支持された思想を完全に否定してるって事じゃん!!

 だから僕は、たとえ脚本の技術的欠陥ない状態でライジングが完成していたとしても、好きにはなれなかったと思う。(まぁこれは個人的な思想の話なので、好みは分かれるだろうけども・・・。)

 こうして、ダークナイト鑑賞後から4年間思い続けたノーラン版バットマンへの信仰は、終わりを告げたわけだ。とはいえ、これからも前作ダークナイトのファンであり続けたいと思う。シカゴの地下を疾走するバットポッドに震えたあのときの興奮は、今でも忘れられないもの。





2012年7月30日月曜日

ダークナイト・トリロジー完結記念 名シーンBest10 <ネタバレ注意>


<ネタバレ注意>



遂に終わってしまった、クリストファー・ノーラン版バットマンシリーズ。

ダークナイト・ライジングについて、今だ自分の意見が整理できていないものの、とりあえず、見ていて好きになったシーンをかき集めて、ランキングを作ってみた。

・・・本能に従った結果、非常に偏りのある順番になってしまった。
しかしこれこそ、自分の中の直感的評価結果と言ってよいでしょう。





1位「ダークナイト」より、
ゴードンによる映画最後のセリフ。
”He's a silent guardian...a watchful protector. A dark knight.”
「彼は沈黙の守護者、我々を見守る番人、闇の騎士(ダークナイト)だ。」


2位「ダークナイト」より、
破壊されたタンブラーから、バットポッドが出現するシーン。
Goodbye.(Computer)


3位「ダークナイト」より、
バットマンとゴードンによるジョーカー取調べシーン。
"Look at you go."
「ほらやっぱりなっwww!!!」


4位「ダークナイト」より、
ジョーカーの手品シーン。
”I'm gonna make this pencil disappear. Ta-da!!”
「これからこの鉛筆を消してやろう・・・ジャジャーン!!」


5位「ダークナイト」より、
冒頭の銀行強盗シーン(特に、ジョーカーがマスクを外して笑うシーン)
”I believe whatever doesn't kill your simply makes you…stranger.”
「俺が信じるのはな、人は死ぬほど酷い目に遭っているとどんどん…イカれてくるって事さ。」


6位「ダークナイト・ライジング」より、
EMPブラスターを使って周囲の照明の光を消しつつ、闇に混じってバットポッドが走るシーン。


7位「ダークナイト」より、
ジョーカーが警察署から逃走する時に魅せる、箱乗りシーン。


8位「バットマン・ビギンズ」より、
クレイン博士=スケアクロウが喋るシーン全部。


9位「ダークナイト・ライジング」より、
バットマンがベインに無残にもボコボコにされるシーン。


10位「バットマン・ビギンズ」より、
火災で崩壊するウェイン邸で、気を失ったブルースをアルフレッドが助けるシーン。
Bruce:”You still haven't given up on me?” 「まだ僕を見捨てないでいてくれるのか?」
Alfred:”Never.” 「決して。」




・・・オマケ 「バットマン・ビギンズ」より、
世界のKEN WATANABE壮絶死シーン。



2012年7月26日木曜日

ダークナイト・ライジング公開直前覚書 その3


その3 バットマンとブルース・ウェインの二面性について、つらつらと。

 ダークナイト・ライジングでは、ビギンズでクローズアップされていたブルース・ウェインの過去が大きく関わってくるということだ。というか、アメリカでの公開後は、むしろライジングはビギンズのやり直しだとさえ言っている。ブルース・ウェインの過去のトラウマをブラッシュアップしつつ、バットマンとしての生き方を何らかの形で終わらせるまでが描かれるのだと思う。
 まぁありがちな設定かもしれんが、それをどう描くか、に期待したい。

>バットマン・ビギンズでのレイチェルの言葉
バットマン・ビギンズで、焼失したウェイン邸の前でレイチェルが言ったセリフがある。
  「ブルースは戻って来なかった、この顔こそ、仮面なの。」
ここで、バットマンとブルース・ウェインの二面性が初めて示唆されてたんじゃないかと思う。それに加え、こんなセリフもある。ブルース・ウェインが高級レストランを買い取って水槽で美女と遊んだ後で、バッタリとレイチェルに遭遇してしまった場面。
  「人の本性は行動に出るのよ」
という何とも痛いセリフ。それに対してブルース・ウェインは、バットマンとしての行動でもって、その意見に答え、評価を得ようとした。だからコウモリ姿でレイチェルに対して同じ言葉を発したわけだ。
 しかしそれでは、「バットマンの正体はブルース・ウェイン」ではなく、「ブルース・ウェインの正体はバットマン」という定義の仕方をせざるを得ない。すなわち、バットマンとしての思想こそ、ブルース・ウェインの内面にあるということ。レイチェルにとって、バットマンとしての思想を前提とした今のブルース・ウェインはバットマンが被った大富豪としての顔であり、レイチェルが愛した人間とは、もはや別の存在となってしまったわけだ。

> ダークナイトでのスケアクロウの言葉
 スケアクロウことキリアン・マーフィは、ダークナイト・ライジングでも出演するという情報が以前あった。それを聞いた時思い当たったのが、ダークナイトのストーリー序盤でのスケアクロウのセリフ。
  自警市民「あんたを手伝いたいんだ!」
  バットマン「助けなど要らない!」
  スケアクロウ「私の診断では違うぞ」
 恐らくこの時点で、スケアクロウ=ジョナサン・クレインは、精神科医として、バットマン=ブルース・ウェインの内面が相当におかしくなっているのをすでに見ぬいていたんだね。ダークナイト・ライジングで、その辺の詳細な意図が明らかになるのではないかな、と。

>ダークナイト・ライジングTVスポットでのアルフレッドの言葉
 「あなたはもうバットマンではない」
ダークナイト・ライジングのストーリーは、ダークナイトから8年後の事だという。バットマンとしての活動を休止していたブルース・ウェインは、その長期休暇ゆえ?か、既に二面性を失っていた?それとも、バットマンとしての闇の心を内に潜め、二面性を維持したまま、バットマンを引きずって隠居していた?
 


 さて、明日の先行上映から、事実上の一般公開となるダークナイト・ライジング。
幼い頃にコウモリだらけの井戸に落ち恐怖し、両親を悪党に殺害され、あまりに大きなトラウマを引きずり続けた大富豪の末路とは・・・?
 IMAXシアターでの先行上映一発目で鑑賞予定なり。


2012年7月25日水曜日

ダークナイト・ライジング公開直前覚書 その2

その2.ウォール街占拠運動との微妙な関係。


数年前だったろうか。

「ウォール街占拠運動が幅を利かせるニューヨークのど真ん中、ダークナイト・ライジングの大規模撮影が行われた」

という報道が話題になった。

 クリストファー・ノーラン監督の徹底した箝口令のせいで、ストーリー上の情報は一切漏れてこなかったが、当然予想されたのが、「次回のバットマンでは、ウォール街占拠運動を背景に、現代社会、主にアメリカ社会において問題とされている格差社会の問題をクローズアップさせるのではないか・・・」という事。 ビギンズはともかく、ダークナイトやインセプションで深いテーマを扱ったクリストファー・ノーランであれば、現代の社会背景を巧みに編みこんだ映画を撮れるはずだから。

 しかしここで疑問が生まれた。ニューヨークでの大規模撮影は「警官隊と武装集団の武力衝突の様子で、バットマンは警官隊に混じって武装集団と戦っていた」という点だ。もし、格差社会やウォール街占拠を意識させるのであれば、「警官隊」はウォール街の連中、もしくは文字通り警官のメタファーで、「武装集団側」が一般国民もしくは貧困層のメタファーの役となるはず。となるとどういうことだ?主人公バットマンは、ウォール街の連中に味方して、「悪=武装集団=一般国民」と戦うという話なのか?
 ウォール街占拠の話はアメリカを二分する問題ではあるが、映画のクチコミや収益を支えるのは、(ウォール街占拠になぞらえるならば)「1%の富裕層」ではなく、「99%の一般国民」だ。単純に人口比で言うならば、ウォール街占拠を支持する人口の方が多いはず。(選挙の話はおいといて、ね)だったら、映画においては一般国民感覚で撮った方が高評価も収益も得やすいはずなんだ。それを考えると、バットマンが味方すべきは、武装集団側ではないだろうか云々と・・・。
 とはいえ、やっぱり生真面目なノーラン監督であれば、善悪の単純構造では描かず、武装集団側=ベインの微妙な主張にクローズアップし、ベイン側の肩を持つようにも映画を作るのではないかと予想した。

 しかし、アメリカでの公開後、批評家達が口々に話していたのが、「バットマンはまるで共和党大統領候補ミット・ロムニーだ」だという指摘。つまり、ダークナイト・ライジングでは、ウォール街の連中に味方をし、ウォール街占拠運動を起こしている市民に敵対する思想を含んでいる、と。やはり、撮影時に抱いた疑念は、正しかったわけだ。まぁ、本当にそうなのかは、自分の目で確かめるまで決めつけてはいけないのだけど。

 知人と会話をする際、「宗教と政治の話はタブー」とは言うけども、映画もその通りなんだと今回改めて感じた。町山氏は「イデオロギーで映画を語ってはいけない」と言っていて、自分もその意見に賛同するけども、全員が全員そういう味方ができるとは思えない。今年はアメリカ大統領選挙の年だけども、現職オバマ大統領とロムニーの支持率には大きな差が無く、どっちに転ぶか非常に微妙な状況であると聞いてる。今回、ロムニーを美化する内容の映画であった場合、大統領選挙に何かしらの影響を与えてしまうのだろうか・・・。気になってくる。


2012年7月24日火曜日

ダークナイト・ライジング公開直前覚書 その1

いよいよ、4年の歳月を経て、ダークナイトの続編「ダークナイト・ライジング」が公開される。アメリカでは日本より1周間早く封切りされたけども、それと同時に色々な「動き」が起こり、正直滅入ってしまった。

とりあえず、週末の鑑賞に向けて、ポイントを整理していく。




その1.オーロラでの銃撃事件


しばしば、「歴史に残る映画」というのは登場するが、どのように歴史に名を刻むかは、様々な事例が考えられる。
例えば興行収入でトップ1になれば、数字として記録に残るのは当然。また、公開年のアカデミー賞を多部門で大量受賞することによっても、オスカーの受賞リストに名を残せる。

ただ、経済・娯楽としてではなく、文化・芸術視点で考える場合、歴史に残る映画とは「その時代に新たな価値観を提示する映画、新たな問いを発する映画、印象に残る表現手法を使う映画、前例のない何らかの衝撃を与える映画etc...」である場合が多い。「サイコ」や「2001年宇宙の旅」等が、そういった類に分類されるべき映画だ。そして、それらは、いくら儲けたかという尺度では図れない価値観の世界と言える。

ダークナイトはどうだろうか。
興行的にも成功を収めてはいるものの、どちらかといえば、後者の意味で歴史に残る映画かと思う。バットマンの宿敵ジョーカーを演じたヒース・レジャーは、16時間の連続撮影という強行スケジュールの中、クリストファー・ノーラン監督の指示により、シド・ヴィシャスと時計じかけのオレンジのアレックスを精神に宿して演技を続けた。その結果、心を病み、不眠症となり、ミシェル・ウィリアムスとの婚約は破棄となり・・・そのまま死の床についてしまった。ヒース・レジャーは、命を引換えにジョーカーを演じ、伝説を作ったと断言できる。その悲劇性が映画界に与えた衝撃は、当然大きかった。

では、ダークナイト・ライジングは?
ライジング公開に当たって、その期待度が並大抵のものではなく、当然ながら興行記録の更新が望まれた。しかし今年の春、正統派ヒーロー映画アベンジャーズが、超特大ヒットを飛ばした。アベンジャーズは、子供から大人まで楽しめる点、3D上映による割増料金を加算できる点で、「儲けやすい映画」である反面、ダークナイト・ライジングは暗くて大人向け、しかも2Dオンリー上映といったように、「儲けにくい映画」だ。それゆえ、アベンジャーズの記録を抜き去り、興行記録で歴史を塗り替えるのは難しいのではないかというのが大方の予想であった。 
そんな冷ややかな分析が成される中、ついに20日に公開され・・・全く不本意な形で、歴史に残るオープニングデイを迎えることになった。

20日の夜、「アメリカの映画館で、最新作上映中に銃乱射」というニュースの見出しを見た瞬間、ダークナイト・ライジングの事だとわかった。ヒース・レジャーに続いて降りかかった「人の命に関わる悲劇」。不謹慎とはわかっていつつも・・・ノーラン・バットマンシリーズは呪われているんじゃないか、と思わずにはいられない。
犯人のジェームズ・ホームズは「自分はジョーカーである」と名乗ったという未確認情報がある。「現実世界に本物のジョーカーが生まれてしまったというのか」・・・という危惧が拭えないが、実際はどうなんだろうか。
ダークナイト本編において、ジョーカーに心酔し市長暗殺に加担する男として「シフ」という妄想型統合失調症患者がいた。バットマンはハービー・デントに対し、「ジョーカーはこういう人間を仲間に引き入れるんだ」と言ってシフへの尋問が不毛である事を主張した。これ、要は「ジョーカーの哲学の本気でなびいてしまうのは、シフのように精神に以上を持っている人間ぐらいだ」と言って一蹴しているわけだ。銃乱射犯は、ジョーカー自身としてではなく、ジョーカーのフォロワーとして見るべきで、シフに近い存在だとして見るべきと思う。(マトリックスでも、同様に殺人事件が起こったという話を聞いたことがある。「自分は今マトリックスの中にいるんだ」と信じる人間が実際に人を殺して自殺し、マトリックスから脱出しようとしたのだろうか。)

歴史に残る映画とは、どうあるべきか。興行収入は、宣伝によってある程度上昇させられるが、人の心に残る映画となると、「人間を心酔させる魔力」を持つ映画でなければいけない。今回のライジングでの惨劇は、前作ダークナイトの議論を蒸し返すことになるだろうし、「ライジング上映中の悲劇」である以上、ライジング自身も社会歴史上の汚名を被ることは間違いない。
時代の先を行く映画というのは、メインストリームではありえない。ダークナイトやダークナイト・ライジングのような、普通の映画とは別の新しい尺度で検証される映画であって、その新尺度によって後の映画に影響を与えることになり、歴史の系譜を作る。すなわち、歴史に残る映画になるのでしょうな。



アメリカでのライジング公開後、さっそく批評家の分析が始まっている。右派メッセージが強いという意見が多数あるようだ。次はそのあたりを整理したい。


2012年6月17日日曜日

キャラの魅力で乗り切る「ダーク・シャドウ」


ティム・バートン監督「ダーク・シャドウ」を見た。
とても期待していたのに、結構ガッカリして劇場を出た。予告編を見た時は、キャラクター性、好みのキャスト等々、とても魅力を感じただけに、この落胆はしんどい。脚本がちょっとヒドイな。




<ストーリー> ーallcinemaより抜粋ー
 ”200年前、コリンウッド荘園の領主として裕福な暮らしを謳歌していたプレイボーイの青年バーナバス・コリンズ。しかし、魔女のアンジェリークを失恋させるという大きな過ちを犯し、ヴァンパイアに変えられ、墓に生き埋めにされてしまう。そして1972年、彼は墓から解放され自由の身となる。しかし、2世紀の間にコリンウッド荘園は見る影もなく朽ち果て、すっかり落ちぶれてしまったコリンズ家の末裔たちは、互いに後ろ暗い秘密を抱えながら細々と生きていた。そんなコリンズ家の末路を目の当たりにしたバーナバスは、愛する一族を憂い、その再興のために力を尽くそうと立ち上がるのだったが…。”


・テーマがバラバラ・・・
この映画には幾つかのテーマあるようなんだが、どうもまとまりが弱かったな。家族愛担当のコリンズ一家の面々、恋愛担当のベラ・ヒースコート、呪い&敵&エロ担当のエヴァ・グリーン嬢、そして背景にある70年代の雰囲気。
それぞれエピソードが独立していて、互いに依存する設定上の関係性がほとんど無く、ストーリーラインが分割されている。そうなると、個々のラインを描くのに必要な時間の尺が短くなる。尺が短いと、深掘りできず、ストーリーが浅くなる。そんな感じがした。

・活かせていない設定と背景
画面に出てきたわりに宙ぶらりんなモノが多かった。
主たるのが、ヘレナ・ボナム・カーター!家族じゃないし、物語のカギかというと、そういうわけでもない。彼女は一体何しに出てきたんだ!?ジョニー・デップのヴァンパイアとしての凶暴性を描きたかったのか?何か浮いてる気がする。あと無駄な船長設定のクリストファー・リー!会社再建にジョニー・デップの催眠術使ってたところを笑いにしてたんだろうか。全然ヒネリ無いってば。そしてそもそも、なんで1972年?これ別に現代でもよかったんじゃないか?監督自身のノスタルジックなエゴか?ちょっと分からなかった。

・これがやりたかっただけだろ
予告で大きなインパクトを受けた、ジョニー・デップとエヴァ・グリーンのエッチシーン。予告で紹介された内容以外に何の情報もカタルシスも無い。怪物同士がセックスしたらこうなっちゃいます!っていうギャグを撮りたかっただけなんだろうって気がした。そりゃ確かにあのシーンは面白かったけど、物語上の必然性は弱いでしょ。憎んでいても押し倒してしまう魔性の女を描きたかったとか?ちょっと弱いなぁ。

・とはいえ、素材はGood。
素材がしっかりしていただけに、予告編では表面的な華やかさが目立ったんだね。とっても残念。ただ逆に言えば、素材はしっかりとしているので、キャラクター性からユーモアを感じて楽しめばいいかなと。元ボンドガールのエヴァ・グリーン嬢は相変わらず素敵だし、キック・アスのファンならクロエ・グレース・モレッツが出ているというだけで興奮すること間違いなし。自分の場合、リトル・チルドレンのぶっ飛び変質者やウォッチメンのロールシャッハで知られているジャッキー・アール・ヘイリーが出ているのは、とってもワクワクしたし、あのコミカルさは好感が持てたよ。


2012年6月2日土曜日

アンチ・ノスタルジーの秀作「ミッドナイト・イン・パリ」

ウディ・アレン監督「ミッドナイト・イン・パリ」を観てきた。今年のアカデミー賞でオリジナル脚本賞を受賞した話題作。そこそこの期待をかけていたところ、思った以上の良い出来で、とても楽しめた。





<ストーリー> ーallcinemaより抜粋ー
 ”ハリウッドでの成功を手にした売れっ子脚本家のギル。しかし、脚本の仕事はお金にはなるが満足感は得られず、早く本格的な小説家に転身したいと処女小説の執筆に悪戦苦闘中。そんな彼は、婚約者イネズの父親の出張旅行に便乗して憧れの地パリを訪れ、胸躍らせる。ところが、スノッブで何かと鼻につくイネズの男友達ポールの出現に興をそがれ、ひとり真夜中のパリを彷徨うことに。するとそこに一台のクラシック・プジョーが現われ、誘われるままに乗り込むギル。そして辿り着いたのは、パーティで盛り上がる古めかしい社交クラブ。彼はそこでフィッツジェラルド夫妻やジャン・コクトー、ヘミングウェイといった今は亡き偉人たちを紹介され、自分が1920年代のパリに迷い込んでしまったことを知るのだった。やがてはピカソの愛人アドリアナと出逢い、惹かれ合っていくギルだが…。


●豊かなキャラクター
現代描写、1920年代描写、ともに適度にユーモアがある良いシナリオ展開で、とても面白かった。中でも、主人公と有名なアーティストとの掛け合いは新鮮かつ自然で、まるで自分もその雰囲気の中に一緒にいるような感じがする。風景や人物設定等、細かいディテールまでこだわっていることで、説得力を与えているんだろう。
あまり評価の対象にはなっていないようだけども、オーウェン・ウィルソンの三枚目演技が、主人公ギルのイメージと無茶苦茶ハマっていてとっても良かった。ちょっと抜けていて、夢見がちなのに踏み切れない感じがあって頼りない反面、根は真面目で憎めない。そんな性格なのが本作の主人公ギル。バカすぎず、マジメすぎない感じを上手く演じてくれたと思う。
また、フィッツジェラルド役でトム・ヒドルストンが出ていた。彼はものすごく顔力の強い俳優だね。本作や戦火の馬のようなサワヤカな役も、マイティ・ソー、アベンジャーズのロキのような敵役も務まってしまう。あの特徴のある顔立ち・大きな目が、キャラクター作りに役立っているのだと思う。ダリ役のエイドリアン・ブロディもなかなか良かった。ダリの特徴ある雰囲気は真似しやすいのかもしれんが。そして、マリオン・コティヤール嬢は相変わらず美しく、場の空気を変えてしまうほどの存在感を放っていた。

以下ネタバレ。

●主人公の気付きと旅立ちの話
とはいえ、本作でもっとも気に入ったのは、物語の主張するテーマだ。最も輝いていた1920年代のパリに来たギルは、その時代で知り合った女性アドリアナとともに、更なる過去・1890年代へ迷い込んでしまう。するとどうだろう、アドリアナは1890年代は最も素晴らしく、1920年代は退屈だと言う。ギルは、アドリアナの考えに驚くが、やがて気づく。「どんな時代の人でも、過去を美しく観て、自分の時代に希望を見出そうとしない」ということを。そして彼は、アドリアナ=1920年代のパリとの別れ、「現代のパリ」の地に脚を踏みしめ、前を向いて人生を歩んでいく決意をする。今後もしかして、何十年後の人々から、「2010年代のパリは黄金時代だった」と語られる日が来るかもしれない。いや、そうに違いない。だってそこは、誰もが憧れる「世界一の都・パリ」なのだから・・・。

●アンチ・ノスタルジー
過去に戻って偉人たちとのドタバタを楽しむノスタルジックなファンタジー映画かと思いきや、なかなか人生訓に満ちた深い映画だったと思う。本作を見ると、「三丁目の夕日」と「オトナ帝国」の対比論を再び思い起こされた。「三丁目の夕日」シリーズは、妄信的とも言える程のノスタルジー迎合映画だ。過去を振り返り、ただひたすら素朴さ、美しさ、懐かしさを描くことで、現代を生きる大人たちを虜にした。
一方、アンチ・ノスタルジーの傑作として有名なのが、「クレヨンしんちゃん・嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲」だろう。昭和の古き良き時代を復活させようとする敵と、来る未来を守ろうと立ち上がった野原一家との戦いを描いた映画。本作ほど未来への希望を持たせる映画はそうそうは無い。
人はだれでも、昔を懐かしんだり、「あの頃は良かった・・・」等といって現代を悲観的に見る時がある。でも、そんなイメージは得てして美化されたもので、その時代にはその時代の嫌なことや苦労があったはずだ。本作にあるように、その時代に人も過去を夢見ていたかもしれない。つまり、過去への憧れは、いつの時代の誰もかもが持ちうる幻でしかないのだ。

美しき過去の記憶に囚われず、自信を持って現代を生きる事こそ大切なのだと教えてくれる作品が、自分は好きだ。それが、オトナ帝国であったり、このミッドナイト・イン・パリであったりする。我々の実際の生活に強いメッセージを送ってくれる映画がもっと作られて、もっと人々の目に触れ、正当な評価を得てくれるといいのに。






2012年5月28日月曜日

プロメテウス対策講座「エイリアン」


今夏公開の「プロメテウス」の予告編から垣間見る完成度の高さに触発されて、久々に「エイリアン」を鑑賞。

過去、自分が最も触れたエイリアン作品は、なぜか「3」。(フィンチャー大好き)
1作目は、幼い頃に1度だけTVで鑑賞したのみであったため、ほとんど記憶から消えていた。今回復習したことで、プロメテウスが通常の3倍楽しめるようになったと思う。少しでも1作目の記憶が薄らいでいる人は、是非直前に復習してみるといいと思う。


>予告編の類似 (エイリアンとプロメテウス)

興味深かったのは、、DVD特典として収録されていた「エイリアン」公開当時の予告だ。



そして、次が、昨月公開された「プロメテウス」の予告。



雰囲気が超似てる。終盤で繰り返し発せられる、何とも表現し難い怪音は、全く同じモノだ。


>スペースジョッキー(コレの存在すら忘れていたミーハーな自分・・・。)
 そもそもエイリアンとは、リプリーの乗る”ノストロモ号”の船員が、とある惑星で”謎の宇宙船”を発見し、その船内で遭遇してしまうもの。その宇宙船には、乗員と思われる”謎の巨人”が、椅子に座ったままミイラになっていた。このミイラは、”スペースジョッキー”と呼ばれている。
 「エイリアン」DVD特典には、1999年に新録した、リドリー・スコット監督のコメンタリーが収録されている。そして(ミーハーとしては)驚くべきことに、スペースジョッキーのミイラ発見のシーンにおいて「いつか、エイリアン5と6を撮りたい。この作品では、”彼ら”がどこから来たのかを明らかにする。エイリアンとは、彼らの生物兵器である。」との構想を語っていた。
 というかそもそも、エイリアンの卵を遮蔽するレーザーバリアー等の設備からして、1作目の描写で既に”完全生物たるエイリアンが、スペースジョッキーの管理下にあったもの”であることが、明確に描かれていると言える。

 プロメテウスでは監督の宣言通り、そのスペースジョッキーの正体が描かれることになっている。プロメテウスの予告編には、謎の巨人が画面に写っていて、エイリアンでノストロモ号の船員が見つけたミイラが座っていた座席までもが確認できる。
つまり今回のテーマは、
・スペースジョッキーの正体
・エイリアンの正体
・ウェイランド社がエイリアンの存在を嗅ぎつけた経緯
・スペースジョッキーと人類の関係・・・。
といったところだろうか。

 長年温めてきた構想を、リドリー・スコット監督がガチ本格SFとして映画する本作。尻すぼみとなったエイリアンシリーズに一石を投じ、初代が放つ魅力、すなわちSFとミステリーが共存する壮大な世界観を復活させ、エイリアンをリアルタイムで見れなかった我ら若い世代を興奮の渦に巻き込んでくれることを期待したい。


 ちなみに余談。プロメテウスは前後編によって構成されるという事前情報もあり、後編はエイリアンシリーズと同様ジェームス・キャメロンが「メガホンをとる」なんて発言し、衝撃が広まったこともあった。(後にジョークと判明)
 さらに余談。当たり前ながら、初代エイリアンでのシガニー・ウィーバーが若くて美しいよ。


2012年5月26日土曜日

臭いゴミ箱のフタをあけろ!「ある戦慄」

町山智浩氏のトラウマ映画館で紹介されていた映画「ある戦慄」がDVD化されてTSUTAYAに並んでいたので、さっそくレンタル。これはとっても後味の悪い映画だ。

<ストーリー> ーamazonより抜粋ー
”ニューヨーク・ブロンクス。夜の街を闊歩するジョーとアーティのチンピラ二人組は通行人を暴行して小銭を巻きあげると、マンハッタン行きの地下鉄に乗車する。そこには幼い少女を連れたウィルクス夫妻、アリスとトニーの若いカップル、年老いたベッカーマン夫妻、教師のパーヴィスと美人の妻バーサ、白人を憎んでいる黒人アーノルドとその妻、同性愛者のケネス、休暇中の陸軍一等兵などが乗っていた。ジョーとアーティは乗客をからかい始める。ドアが故障して他の車両へ移動できないため誰も逃げられない。すると乗客はチンピラに挑発され、日ごろの鬱憤を爆発させ、感情をむき出しにし、互いにののしり合い始める。調子に乗った2人は少女に手を出そうとする。そのとき、ついに立ち上がって彼らに対決を挑んだのは意外な人物だった……。”

 暴力シーンはほとんど無く、ただひたすら精神をえぐるので、スカッとする場面がほとんど無い。乗客同士の喧嘩もあるのかと思っていたのに、他人がチンピラに絡まれるのを皆が見知らぬフリだし、なおさら気持ち悪い。その上、暴力や乱闘が無いので、観客の鬱憤を晴らす所も存在せず、全くスカッとしない。映画のプロローグの中で、予めチンピラの怖さを説明しているので、「こいつら何をしでかすか分からないぞ・・・」という印象を持たされた。だから暴力が無くても不安で仕方なくなるのだ。

でもこの映画は、とっても価値のある映画だよ。

 人が他人に見せまいと隠してしまう本音、本心、裏腹を、包み隠さず、オーバーでもなく、ストレートに描いている。これを見ると、「もしや、自分もこうなってしまうんだろうか?」と考え、落ち込んでしまうんだ。
 残念ながら、こういう汚い一面はどんな人にもある。普段はキレイ事を言ったり、自分の自身や実力、道徳観を信じてしまうことが多いんだけど、いざ危機的状況に陥ると、何もできないどころか、無様な自己保身、逃避行動をとってしまう。そんな弱い生き物なんだろうな、人間って。
 でもこういう映画を見ておくことで、そんな自分の弱々しい部分に目を向けることができる。弱さを理解することで、無闇にプライドを持つことを防げるし、何かに遭遇したときにどういう行動をとることができるのか、自分にできる事は何なのか、シミュレーションしておくことができる。

 もっともっとこの映画が広まればいいのに。


2012年5月22日火曜日

ダーク・シャドウは予想通り。



「【国内映画ランキング】ジョニー・デップ君臨。「ダーク・シャドウ」V、「ファミリー・ツリー」は6位」ー映画.comー

うーん、ファミリー・ツリーは売れぬか・・・。

テルマエ・ロマエはともかく、宇宙兄弟やコナンにも負けたか。
やはり邦画は強い。
日本で邦画人気なのは、当然か。

というか、日本じゃジョージ・クルーニーだと客を呼べないのかな。
今や、映画のタイトルより先に名前が出る俳優といえば、トム・クルーズか、ジョニー・デップぐらいか。こういう人を「スター」と呼ぶのだろう。

2012年5月21日月曜日

「007スカイフォール」予告編


この冬の注目作「007スカイフォール」の予告編が世界同時公開!!



シリアスですな。

 カジノ・ロワイヤルと慰めの報酬の中で描かれたテーマ、「ボンド誕生」とは独立した作品となる、という点は以前から聞いていたので、ブロスナン以前の雰囲気に舵を切り直すのか、このままシリアス・リアル路線を崩さないのか、そのバランスに注目していた。するとどうだ。完璧なドシリアス予告のようだ。これで、特撮じみた古き良き007の流れは、完全に潰えたことになる。これも時代の定めか。

ダニエル・クレイグへ送るのにピッタリなセリフを、ダークナイトのジョーカーが言っていたな。


”お前はすべてを変えてしまったんだ。
永遠に、もう、戻れない・・・。”



いや、戻らなっくていいよ。無茶苦茶期待してます。




2012年5月19日土曜日

スーパーチューズデー 予告編

これは・・・エグそうだ。




キャストすごい。
何より、大好きなポール・ジアマッティが出ております。


2012年5月17日木曜日

名案

アメリカにあるテーマパークの、ディズニー・ハリウッド・スタジオでの企画「スター・ウォーズ・ウィークエンド」に向け、面白いイベントを考えようと、ブレインストーミングを行いました。
”スペシャルゲスト”含むフレッシュマン達が、アイデア創出に挑みます。




司会者「最初は誰かな?準備ができたかな?みんなでアイデアを広げていこうよ!」

D.V.「ジェダイを滅ぼす。」

司会者「・・・。」


もはやギャグキャラだ。

2012年5月16日水曜日

バットマン・ビギンズの名言について


「人の本性は行動で決まるものだ」


バットマン・ビギンズで、レイチェル・ドーズがブルース・ウェインに言った言葉だ。少し補足してみると、こんな感じだろうか。


「人の本性は、言葉ではなく、行動で決まるものだ。」


口だけなら何とでも言えるもの。行動とは、何とも難しいもので・・・。

2012年5月15日火曜日

シブイ男が満載「Gangster Squad」予告編

MIB3の若きK役で知名度アップ間違いなしのジョシュ・ブローリン、ライアン・ゴズリング、ショーン・ペン出演の「Gangster Squad」予告編。ロス市警のメンツが男臭すぎる。



マフィアVSロス市警の戦いなのだが、予告を見ていると、もはや、警察VSギャングではなく、無法者VS無法者の戦いになっていくのだろうか。

"You're a cop!"
"Not anymore."
かっくいい!躊躇なくショットガンを打ち噛ますライアン・ゴズリングに期待。


紅一点のエマ・ストーンがめちゃかわいい。このメイクはハマってるよ。しかし、ショーン・ペンのギャング役は、なんだか全然ピンと来ない。持ち前の演技力で巻き返すかな?


2012年5月14日月曜日

ナガ〜タ〜な「バトルシップ」

ユニバーサル映画100周年記念映画「バトルシップ」を見た。
浅野忠信が目立つ役を務めていることでも話題になった本作を見て・・・特に感想は無い。何もない映画だ。




<ストーリー> ーallcinemaより抜粋ー
 ”ある日、ハワイ沖にアメリカや日本をはじめ各国の軍艦が集結し、大規模な合同軍事演習が行われようとしていた。血気盛んな米海軍の新人将校アレックスは、日本から参加した自衛艦艦長のナガタに激しいライバル心をむき出しにする。そんな中、演習海域に正体不明の巨大な物体が出現する。さっそくアレックスの乗る駆逐艦とナガタの自衛艦、それにアレックスの兄ストーンが艦長を務めるサンプソン号の3隻が偵察に向かう。ところがその正体は、地球に飛来したエイリアンの母船だった。やがて母船は巨大なバリアを築き、人類はそこに閉じ込められた3隻以外に反撃の手段を失ってしまうのだった。”


 本作は、いかにも制作会社主導という作りになっていて、いい作品であることより、作ること自体が目的化していたんじゃないのかな、という感じがした。とりあえず、話として繋がっていればいいや、的な。俳優も地味で、一応の目玉俳優リーアム・ニーソンは完全にチョイ役。俳優にお金かけてないのが予想つく。

 話は繋がっていると書いたけども、どうも全体的にリアリティに欠ける。ヤマト並とまではいかずとも、納得のいかない展開ばかりが目についた。宇宙人達は何でわざわざ母星と連絡をとろうとしたのか。通信こそ大事だ、とかいう趣旨の話は一応してるけども、地球の場所はもう知っているわけだし、説得力に欠ける。あとハワイ周辺の話なのに、どうして全世界で暴動が起きるの?スナイパーライフルで宇宙人の戦艦の司令室に穴が空くものなの?地球の通常兵器相手に簡単にやられすぎじゃない?あんなミサイルでブッ壊れちゃうのになんでたった5機で来ちゃうの?話の序盤で主人公の才能について伏線張りまくったくせに、見せ場らしい見せ場は最後の一騎打ちぐらいって寂しくない?etc...

 この手の無理矢理なプロットは、90年代以前のアクション映画を彷彿とさせる。エクスペンダブルな俳優たちの全盛期は、このランクのストーリーの乱打だったなぁ。当時は俳優が体張って頑張った分、本作はその代わりにCGで見せようとする映画だったのかな。でももはやCG技術は発達しすぎてしまって多用され、CGで客を呼べる時代は終わってしまったと思うんだが・・・。

テイラー・キッチュって「ウルヴァリン」でガンビット演じてたんだね。いや別にいいんだけど。

2012年5月13日日曜日

アレクサンダー・ペイン監督「ファミリー・ツリー」予告編


いよいよ日本公開が来週に迫った「ファミリー・ツリー」の予告編を見た。
「サイドウェイ」のアレクサンダー・ペイン監督による久々の映画。本作でもアカデミー賞の脚色賞を受賞しちゃっているので、相当期待してます。
ぜったい初日に見に行くぞ!



この予告、ナレーションを小山力也がやってる。映画の日本語吹替版で、ジョージ・クルーニーの役を頻繁に担当する人だ。今や「ジョージ・クルーニーを演じさせたら右に出る者がない」ってイメージがある。シブくてスマートそうなカッコイイ声だもの。これはもはや、シュワの吹替が玄田哲章にしか務まらない現状と同じ事が起こり始めているね。そりゃ予告のナレーションにも呼ばれるよ。(本作のジョージ・クルーニーはダサ親父役だけど・・・。)

個人的には小山力也の声に猛烈フィットするのは、ニコラス・ケイジなんだけども・・・。(TV版ザ・ロックでの吹替演技は吹替史に残る名演だと主張したい。)


2012年5月12日土曜日

SpaceBattleShipヤマト


遂に見た。実写版ヤマト。

・・・。

「意外に楽しめるよ?」なんて評価もチラホラと聞いていたのが、、、ちょっとなぁ・・・。

CGは凄かった。
でも、ストーリーはリアリティに欠けていたし、各シチュエーションごとにお決まりのベタベタな会話が展開されるばかり。見たことあるようなシーンを繋ぎあわせて一本の映画を作ったような感じがした。監督は山﨑貴監督。この人、三丁目映画から全く成長していないじゃないか。いっつも記号やアイテムに頼ってシナリオを作っててさ・・・。もっとオリジナリティある脚本を責任持って書かろって。記号を使うなとは言わないけども、それならそれで楽しませてもらわないと。

制作スタッフを見ると、プロデューサーとか製作担当の人間が20人ぐらいいるんだ。もう明らかにTV関係者の利権構造を反映してるよ。ネタ主導で金儲けしようとする連中なんだろうね。嫌な感じ。

DVDレンタル料金200円と、僕の休日2時間を返してくれ。


2012年5月11日金曜日

ショーン・ビーン逮捕!!


せっかく昨日褒めてあげたのに・・・。

「ロード・オブ・ザ・リング」俳優、元妻への嫌がらせで逮捕」ーTVグルーヴー

ちがう、嫌がらせじゃない!!
心弱きゆえの孤独への恐怖が原因に違いない!!
そう、ボロミアがフロドを襲ったように!!
彼こそ、不完全ないきもの「人間」の代弁者だ!!


2012年5月10日木曜日

ショーン・ビーン 〜弱さを表現するコワモテ〜


うおおお! おめでとう主演!珍しい!!

『ロード・オブ・ザ・リング』のショーン・ビーン、南アフリカの小説家デオン・マイヤーの3部作の映画化で主演へ ーシネマトゥデイー

ビジュアル的な理由から、悪役がとても似合っている俳優ショーン・ビーン。
単なる悪役を演じる場合も多いようだけど、個人的に心に残っている彼の悪役は、ロード・オブ・ザ・リングのボロミアや、やリベリオンのパートリッジだ。悪役、憎まれ役なのに、その影に、脆く弱い心も併せ持っている・・・そんな複雑な悪役を演じている彼が好きだ。

ま、彼の演じる役そのものが好きなだけなのかもしれないけど。
しかし、本作への主演によって、彼の本当の実力が明らかになることでしょう!


2012年5月9日水曜日

MacBook Proが瀕死状態な件

最近は、YouTubeすらマトモに見てなくなってきた。Airの値段が年内に大幅に下がるという噂を聞き、大きく心が揺らいだものの、一先ずは新型Pro待ちかと。

2012年5月8日火曜日

エクスペンダブルズ2 予告編第二弾


『EVERYONE IS EXPENDABLE』(全員、使い捨て!!)
予告編第二弾が公開。

Trailer #2: Almost every action hero in movie history is kicking ass in this trailer.

熱い。時代に取り残されたアクション俳優達の覚悟(開き直り)が伺える。
特にヴァン・ダム! 改めて・・・よくぞ参加してくれた!
スタローンVSヴァン・ダムのサシバトルが楽しみで仕方がない!


2012年5月7日月曜日

ええ話やな(怒)な「ブライズメイズ」

アメリカで超人気だったコメディ「ブライズメイズ」を見てきた。楽しめるかと思いきや、ちょっとこういうのは苦手かなーって映画だった。期待しすぎたかも。



<ストーリー> ーallcinemaより抜粋ー
 ”30代独身のアニーは、開業したケーキ店がつぶれた上、恋人にも捨てられ、人生最悪の日々を過ごしていた。そんな折り、大親友のリリアンが結婚することになり、アニーはブライズメイドのまとめ役を頼まれる。さっそく他の4人のブライズメイドたちを紹介されるが、いずれ劣らぬ個性派揃い。意見も合わないばかりか、互いにライバル意識をむき出しにする始末。それでもリリアンのために立派なウェディング・プランをと意気込むアニーだったが、前途には想像を絶する困難の数々が待ち受けていた。”


 正直、ネタが「ヤング≒アダルト」に近い。でもヤング≒アダルトはあくまでドラマ。このブライズメイズは完全にコメディとして作っていた。アメリカン・コメディには、日本人にハマる笑いもあればハマらない笑いもあるわけで、そう見ると本作が自分に合わなかったのも頷けるかな。特に、飛行機の酔っ払ったアニーや、ローズ巡査の気を引こうとするアニーは、さすがにクドイように思うんだ・・・(日本人でもちゃんと好きになれる人はいるんだろうけど)。
 なので、コメディが主路線である以上、期待していた「自分らしく生きる女性の力強さ」というポイントの深掘りはそれほど練りこまれていない印象。逆にコメディとしてのテンポはよかったと思う。完全なるエンターテイメントだね。なんだかんだで最後にアニーは救われるし。個人的には、救いの無い環境のなか、自分の意志で前に進もうとする結末だったヤング≒アダルトの方が好みだ。

 ただし、ここで描かれているような、自分だけ取り残されてい行く不安、親友の幸せが自分の不幸・不遇・孤独につながるという事実。・・・わかる、本当に。




2012年5月6日日曜日

久々の良品発掘「おとなのけんか」

ロマン・ポランスキー監督「おとなのけんか」を見た。
 ジョディ・フォスター、ケイト・ウィンスレット、クリストフ・ヴァルツといったオスカー受賞経験者が名を連ねるにも関わらず、賞レース殆ど入り込めていなかった作品。しかし作品レビューを見るとソコソコに高評価だったので、試しに鑑賞してみることにした。するとこれが大当たり。なかなか楽しむことができた。




<ストーリー> ーallcinemaより抜粋ー
 ”ニューヨーク、ブルックリン。11歳の子ども同士が喧嘩し、片方が前歯を折るケガを負う。ケガを負わせてしまった側のカウアン夫妻がロングストリート夫妻の家に謝罪に訪れ、和解の話し合いが行われる。お互いに社交的に振る舞い、話し合いは冷静かつ友好的な形で淡々と進んでいくかに思われたが…。”


 本作は、最初から最後までジョディ・フォスターとジョン・C・ライリー夫妻の自宅の一室で物語が展開される。4人の行動のみしか描いていない。レザボア・ドッグスやキサラギを思い起こさせる。調べると、もともと原作は舞台劇なのだそう。であれば確かにこのシステムを頷ける。
 ただし映画でこれをやってしまう場合、舞台劇の味とされる”誇張された脚本・演技”をそのまま移植してしまうと、不自然さが現れるんだな。映画のなかで、ケイト・ウィンスレットとクリストフ・ヴァルツは何回も部屋を出て帰宅しようとするのだけど、なんだかんだ話がこじれて、また部屋に戻ってくる・・・というのを3〜4回繰り返す。これが舞台上で繰り広げられたなら、とてもユーモアがある”台本”だと楽しむことができるのだろうけど、映画で、映像として見てしまうと、舞台上の誇張演出が逆に「白々しさ」みたいなものに変換されてしまう。一応ソレが目立たないようにシナリオは工夫されていたけど、限界があったようだ。こういう場合、あえてカメラアングルを限定的にして、カットを長くしたりすれば、擬似的に舞台劇風な体験をさせて、誇張演出を肯定できるのではないだろうかと予想したんだけども、甘いかな? それか、部屋を出ていくと思わせる展開をもっと減らすとかか?

 とはいえ、4人の会話そのものは非常に面白い。
 事前情報からの自分の予想では、2つの家庭の子供同士のけんかに端を発する2つの夫婦の”冷戦”が主テーマで、お互いの本音が徐々に現れてくる過程を楽しむように描かれたシナリオかと思いきや(勿論それもあるけども)、実際には話の論点はあちこち飛び、そのたびに、2夫婦のなかで敵味方が入れ替わり、はっきり言って子供の話は相当時間そっちのけ。2夫婦の抗争が、やがてそれぞれの夫婦喧嘩に発展したり、もう無茶苦茶。でもそうやっていろいろな会話が広がるなかには、クスッと笑わせる展開をイチイチ準備していて、まったく退屈しなかった。
 個人的に一番面白かったのは、クリストフ・ヴァルツ扮する弁護士だ。最初は、夫婦間の話し合いの場でも仕事の電話ばかりしている常識の無い冷徹な人間に見える。しかし周りの感情が高ぶってくると、もっとも冷静沈着でクールな存在に見えてくる。でもその後、携帯電話(ブラックベリー。いかにもだな。)を花瓶の中に突っ込まれてしまうと、一気に感情が爆発して怒り出し、直後に呆然と床に座り込んでしまう。そんな、あっちこっちにブレブレする様子が面白かった。ジョン・C・ライリーが酒を誘った時に、悪びれずに酒をもらっていた様子も思わず吹き出したな。あとは、ケイト・ウィンスレットのゲロがジョディ・フォスターの持っていた画集にBECHOOOOOOっとかかるところ、エグイけど最高だった。あー、こまかいトコロを言い出したらきり無いな。

 まぁとはいえ、子供を持つ親御さんはとても共感できる内容なのではないかと思う。子供が何かを起こした時、「子供づたいでなければ出会うことのない、全く価値観の違う家庭との仮面をかぶったお付き合い」が強制されるのだから。ましてや、トラブルなど起こってしまうと、険悪になるのも仕方ないもの。険悪にならなくても、普段からそういったお付き合いに疲れている夫婦がほとんど。それを惜しげもなくさらけ出し、本音をぶちまけ合う本作は、そういった人達のストレス発散になるんじゃないかな。


2012年5月4日金曜日

予習必須「裏切りのサーカス」

ゲイリー・オールドマンがオスカー主演男優賞にノミネートされた「裏切りのサーカス」を遂に鑑賞、元MI6諜報員が原作の小説「ティンカー・テイラー・ソルジャー・スパイ」の映画化。



<ストーリー> ーallcinemaー
 英国のMI6とソ連のKGBが熾烈な情報戦を繰り広げていた東西冷戦時代。英国諜報部<サーカス>のリーダー、コントロールは、長年組織に潜んでいるソ連の二重スパイ“もぐら”の情報を掴むも独断で作戦を実行して失敗、責任をとってサーカスを去る。コントロールの右腕で彼とともに引退した老スパイ、スマイリー。ある日、英国政府のレイコン次官から“もぐら”を突き止めろという極秘の指令が下る。ターゲットとなるのは、コードネーム“ティンカー”、“テイラー”、“ソルジャー”、“プアマン”という4人の組織幹部。さっそく信頼を置くかつての部下ピーターらと組み、調査を開始するスマイリーだったが…。


 鑑賞前の事前情報として、「登場人物の予習をするべし」との助言があったので、公式ページで人物相関図を確認してから映画に挑んだ。・・・しかし失敗だったのが、容疑者の名前を、ティンカー、テイラー、ソルジャー、プアマンというコードネームで確認してしまったこと。本編ではコードネームはあまり使われず、あくまで本当の人物名で語られることが多く、結局は話についていくのがやっとになってしまった。

 話のなかに銃撃戦らしい銃撃戦は無く、あくまで「見えない敵との頭脳戦」が中心。静かで、地味で、それなのにカナリ怖い作品だった。これがリアルなスパイなんだろうか。
 アカデミー脚色賞にもノミネートされている作品だけに、退屈はしないのだけれど、1つの会話の中の情報量が多い割に、次々と話が展開していってしまうところが正直辛かった。もう少しゆったりとしたテンポにしてほしかったかも。でも多分、小説のストーリーをしっかり伝えるには必要な措置だったのではないかと。実際面白かったし。その状況に加え、日本語字幕量より、実際に俳優がしゃべっている内容量の方が明らかに多かったので、字幕向けに内容を相当シンプルにさせていたのが伺える。日本語吹き替えで改めて見てみたい作品だった。

 この映画を見ると、諜報活動(インテリジェンス)の世界のエグさと奥深さの一端を垣間見ることができる。国家機密の前においては、事実は往々にして残酷となり、人は翻弄されていくしかないのだろう。・・・なんていう話のはずなんだけど、話についていくので精一杯で心から楽しめず、悔しい限り。

スイーツ女子好みのオシャレ映画には程遠く、出演しているキャストもオジサンばかりで地味。しかも話が難解とくると、なかなか上映する映画館が無いのも頷ける。


2012年5月3日木曜日

ウラトモトモエナ By Ken Watanabe

バットマン・ビギンズBlu-Day特典の登場人物紹介コンテンツにあるラーズ・アル・グール解説文に、娘タリアについての記載がある。”タリアという娘がいることはあまり知られていない”などと、原作コミックの内容をわざわざ思わせぶりに紹介していたので、ものすごく気になってしまった。

 そして、次回ライジングに出演するマリオン・コティヤールが、このタリア役なのではないかとの噂がある。(マリオン・コティヤールはインタビューでコレを否定はしている。)

 しかし後日、”真のラーズ・アル・グール”ことリーアム・ニーソンのライジング出演をワーナーが認めた。さらに、子役の少女ジョーイ・キングが、ライジングでタリア役を演じたことを認めた。

これは・・・確定じゃないか?


2012年5月2日水曜日

全てはここから始まった「バットマン・ビギンズ」


 昨日公開のダークナイト・ライジング最終予告編に感化され、久々にバットマン・ビギンズを鑑賞。本作の鑑賞は、劇場公開時以来。なんだかんだで、7年弱の月日が経ってしまった。




<ストーリー> ーallcinemaより抜粋ー
 ”大富豪の家庭に育ったブルース・ウェインは少年時代、井戸で遭遇したコウモリの大群に圧倒的な衝撃を受け、またさらには彼の両親が目の前で殺されて大きなショックを抱え込む。やがて父の遺した企業を受け継いだブルースだったが、強いトラウマと親の仇への復讐心は消えず、犯罪者の心理を知るため自ら罪人となる。そんな彼はある日、デュガードという男と運命的な出会いを果たし、不正と闘うことを決意。そして彼の薦めにより、ヒマラヤの奥地に潜む“影の同盟”なる自警団のもとで心身を鍛え、心の闇を解放する。こうして彼は、ゴッサム・シティへと舞い戻って来る。街は悪の組織と暴力がはびこり、腐敗が進んでいた。自らの使命に確信を持ったブルースは、全身黒いコスチュームを身に纏ったバットマンとなり、巨悪と対峙する道を選ぶのだった。”


 ダークナイト・ライジングがここまで期待されているのは、前作ダークナイト(主にはジョーカー)の壮絶な高評価があってのもの。シリーズ一作目であるバットマン・ビギンズは、公開当時それほどの注目を集めていなかった。自分もビギンズ初見の際には、「まぁ、こんなもんね」なんて感想を持ったものだ。
 その評価は、今回改めて鑑賞しても変わらなかった。意味があるとすれば、「ダークナイト伝説"前後編"へのプロローグ」として、かな。十分楽しめることは間違いないんだけども、シナリオが若干弱いね。すごくツボに来るセリフもあるのに、どうも全体を通してバタついていて、まとまりが無く、軽い印象を与えてしまう。もうあと一息練りこまれていれば、重厚感のあるシナリオになったはずなんだけども。もう少し上映時間を確保出来ればよかったのにな・・・。

 俳優の演技で言ったら、クリスチャン・ベイルとゲイリー・オールドマンの雰囲気が「昔」っぽかった。言い換えるなら、演技の幅がまだ狭い様子が伺えた。なんだかタイムスリップした気分だ。
 クリスチャン・ベイルが狂ったブルース・ウェインを演じている姿がアメリカン・サイコのパトリック・ベイトマンを思い起こさせたし、静かに話す様子はリベリオンのジョン・プレストンを見ているようだった。
 かたやゲイリー・オールドマンは、幼少時のブルース・ウェインを慰める際の演技で、ブルースを安心させるために小さく笑いかける表情をするんだけど、その表情がどうにも”裏があるような笑い方”で、レオンやエアフォース・ワンを思い出してしまって、「ああ、ウェインは今にも首を絞め殺されてしまうんじゃないか」なんて冗談混じりに恐怖してしまった。
 この2人にとって、ノーラン・バットマンは俳優としてのキャリアを広げるキッカケになってるはずなので、昔の演技スタイルが本作にはまだ滲み出ていたんだろうか。

あと、なんというか、キレキレのキリアン・マーフィを久々に見た。
「コレだよコレ!あんたはこの演技が一番だ!」
と心で叫んだ。



2012年5月1日火曜日

ダークナイト・ライジング 最新・最終予告編

ダークナイト・ライジングの最終版予告編が、遂に公開された。
全米では今週末にアベンジャーズが封切になるけども、完全にマーベルの横っ面引っ叩いたな。あれだけ豪華なヒーロー大集合映画が、単なるお祭り行事にしか見えなくなってしまった。



今回の最終予告編で、低くドスの聞いた「バットマンの」声を久々に聞くことができた。とても嬉しい。お陰で、あの「ダークナイト」の続きが見られるっていう実感がいよいよ湧いてきた。さらに、前回の予告ではチョイ役だったキャットウーマンことアン・ハサウェイと、ジョセフ・ゴードン=レヴィットが長時間登場。アン・ハサウェイのスーツは、キャットウーマンというよりむしろバットガールに近いような印象受けてしまった(笑)共闘するみたいだし。まぁ俊敏な動きはキャットなんだが・・・。

本作でバットマンには、新しく空を飛ぶ乗り物が加わった。勿論、映画史上においてAKIRAの金田バイク並みにかっこいいと評される(?)バットポッドも健在。旧バットモービルは何故カラーリングを変えて白昼を走行しているのか。(update:そうか、開発当初の設計色か。)その旧バットモービルに追われながら突き進む重厚感たっぷりのトレーラーは何者か。うーん、興奮してくる。

5月に入り、日本公開まであと3ヶ月を切った。勿論、早く観たい気持ちは山々なんだが、観てしまった後、心にポッカリと穴が開いてしまいそうで怖い。ダークナイト以後の4年を支えてきたものを失ってしまうようで・・・。


2012年4月30日月曜日

2012年4月29日日曜日

ブラック&ホワイト

なかなか安定感のある内容でGoodだった。普段からマイナーなエグエグ映画に慣れてる人には物足りないかも。でもまぁ、ライト層には充分楽しめるかな。

2012年4月28日土曜日

ノスタルジーへの平手打ち「アーティスト」

フランス映画で、しかも無声モノクロ。
アカデミー賞作品賞獲得「アーティスト」。


ストーリー ーallcinemaより抜粋ー
”1927年、ハリウッド。サイレント映画の大スター、ジョージ・ヴァレンティンは、彼に憧れる女優の卵ペピーと出会い、自身の主演作でエキストラの役を手にした彼女に優しくアドバイスをおくる。そんな中、時代はセリフのあるトーキー映画へと大きく変わっていく。しかしジョージは、自分は芸術家だと主張してサイレント映画に固執、瞬く間にスターの座から滑り落ちることに。そんなジョージとは対照的に、時代の波に乗ってスターの階段を駆け上っていくペピーだったが…。”


無声映画は、より人の感情へ訴えかけると言っていたけども、現代映画に慣れている自分には、少々疲れを起こす映画だった。テロップが実際の発声より遅れて表示されるのが、どうにも違和感。面白かったけどね。
ところどころで音声を使っているところを見ると、無声映画を撮りたい!という意識より、これが無声映画だ!というノスタルジーへの尊敬を表す意識があるかな。でも、ノスタルジーはあくまでノスタルジーであって、現実を、未来を見なければいけないっていう事を描いていたように思う。うーん好感が持てる。三丁目映画よりもオトナ帝国に近い、辛いけど前向きなお話だった。

「パルムドック」の犬さんの演技(芸?)はホントすばらしかった。細やかな動きと、演技のバリエーションが多く、申し分ない。

あと心に残ったのは、ジャン・デュジャルダンが自暴自棄になって自分のフィルムを全部バラバラにして火を付けた後、ハッと我に帰って、グチャグチャにしてしまったフィルムの中から、無傷のフィルムを見つけて強く抱きかかえるシーン。あれを見て思い出したのが、ロード・オブ・ザ・リングのボロミアだ。ボロミアは旅の途中、欲に溺れて感情が高ぶり、フロドから指輪を奪おうとしたが、フロドは間一髪逃げ出した。ボロミアは直後に我へと帰り、「俺はなんてことをしていまったんだ」と後悔する。そいて、フロドが敵に襲われた時、ボロミアはその命をかけてフロドを守り、罪を償った。
感情って難しい。あとで思えば「何であんな馬鹿なことを」っていうような間違いを犯してしまう。でも、そのあとの贖罪に、苦しみに、途方も無い努力と時間を、人生をかける。あれこそ、人間の醜さであり、美しさでもある。そんな凹凸ボロミアは、我々人間の代弁者だったのだ。ああ何て奥が深いロード・オブ・ザ・リング。・・・って話変わってる。


2012年4月27日金曜日

偏食


カウボーイビバップ よせあつめブルースより。
スパイクは言った・・・。
”食いモンはとても大切だ。なにしろ人間の体はそいつが食ったモンで出来ているわけだ。もし俺のクローンが人間がいたとして、そいつがハンバーガー以外食ったことがないことにしよう。そいつと俺は遺伝子的には同じでも、まったく違った人間になるはずだ。ハンバーガースパイクは俺よりも怒りっぽいかもしれないし、日曜には教会に行くような男かもしれない。凶暴な賞金首かもしれないし、Yシャツにはアイロンをあててから着るような男かもしれない。いずれにしても、ハンバーガースパイクは俺とは別人だ。要するに食い物を選ぶときは、よくよく考えて選ばないといけないってことだ。”



最近、自分がシリコンバレー関連ニュースに夢中になっているのは、TechCrunchをRSSリーダー様に無理矢理食わされているから、ってだけなんじゃないかと思うことがある。ProcessingやArduinoの作例に心躍らせるのは、Make関連ニュースをRRSリーダー様に食べさせてもらっているからではないかと不安になる。そして、世の中一般のエンターテイメントに興味が無いのは、それらを食べていないからだと思い始めている。


やっぱり嗜好は、行動の結果だ。何を食べたか、だ。




2012年4月26日木曜日

アポロ宇宙船のソースコード


ココに、NASAのアポロ計画、ジェミニ計画に関連するドキュメントが公開されている。
「Document Library Page Apollo and Gemini Computing Systems」

ちなみに「コレ」がソースコード。

これでNASAは月に行ったんだぁと思うと、ジーンとくる。
そんなことを考えていると、
ふと、またもや以前見た記事を思い出した。

「砂糖水を称賛するのはやめよう」−TechCrunch Japan−

ここで紹介されているツイートにハッとさせられた。



”あなたのケータイの計算能力は、1969年のNASA全体の計算能力を超えている。NASAは人を月へ打ち上げた。我々は、怒った鳥を豚へ打ち込んだ。(Angry Birdsアプリのこと)”

あああ・・・。



・・・そしてさらに思い出してしまったのが、カウボーイビバップ TV放送最終回「よせあつめブルース」より。Part10 シュガー・マウンテン。

スパイク「赤ん坊に甘いものばかり食わせると、そればかり欲しがって、肝心の栄養のある食事を受け付けなくなるそうだ。やはり、砂糖菓子のようなものこそが有毒だ。別に甘い食いモンのだけの話をしているんじゃない。世の中砂糖菓子でいっぱいだ。そんなものばかり見てたら、脳が腐ってヨーグルトになっちまうぜ。」


だってさ。
今なら意味がよく分かる。





2012年4月25日水曜日

シャイア・ラブーフ、トム・ハーディの「Lawless」


シャイア・ラブーフとトム・ハーディの「Lawless」





トム・ハーディは、ブラック&ホワイト、ダークナイト・ライジング、そして本作と、今年三本もの映画に主役として出演。(裏切りのサーカスにもサブメンバーとして出ている)人気すぎや。インセプションと、ダークナイト・ライジングでのベイン役獲得以降、完全にフィーバーかかってるな。バブルが弾ける不安も無きにしも非ずだけども、実際に演技力はあるので、そうやすやすとは消えることもないでしょう。

そういえば、ゲイリー・オールドマンとトム・ハーディの共演映画としても三本目か。裏切りのサーカスと、ダークナイト・ライジングと、本作。仲いいな。(関係ない)

そして、今回のゲイリー・オールドマンは、久々の悪役っぽい。バットマン・ビギンズ以降、ゴードンの役のせいで正義のイメージが染み付いてる。それ以前は、屈指のクレイジー悪役俳優だったのを忘れていた。レオンを思いだせ!フィフス・エレメントを忘れるな!



2012年4月24日火曜日

リアル「進撃の巨人」・・・?

これは・・・

「AmazonがB2Bに進出, 最初は機械工具専門のAmazonSupply」−TechCrunchJapan−

巨人Amazonとしては、事業拡大を図る上で順当な手だろう。
ただ、もしこれが日本に展開されてきたら、小粒の商社は大丈夫か・・・?


2012年4月23日月曜日

はたして日本公開は?津波映画「The Impossible」

ユアン・マクレガーとナオミ・ワッツの映画「The Impossible」の予告編。
2004年に発生したスマトラ島沖地震による津波を題材にした実話。



この映像を見て、3.11を思い起こさない日本人はいないだろう。
多分、企画自体は3.11以前から持ち上がってきていたんだと思う。でも、そうだったとしても、すごく嫌な感じがする。内容にもよるけど、メジャー公開は無理だろう。多分単館系の上映の域を出られないだろうな。

ま、日本も震災映画は既に乱立しているんだけども。
ドキュメンタリーといえども、ね。

2012年4月22日日曜日

辛いけど大団円「トイ・ストーリー3」


今更ながら、トイ・ストーリー3を見た。
もう最高と言うしか無い。コレ程の三部作最終章は、他にはなかなか見当たらない。
評判通りの「シリーズ最高傑作」なり。




ストーリー −allcinemaより抜粋−
 ”ご主人様のアンディと楽しい時間を過ごしてきたおもちゃたち。しかし、17歳になったアンディは、すでにおもちゃで遊ぶこともなくなり、また大学へ進学するため引っ越しの準備をしていた。そして、アンディの一番のお気に入りだったウッディだけが彼の引っ越し先へ持って行かれることとなり、バズや他のおもちゃたちは屋根裏部屋行きに。だが、ある手違いで危うくゴミに出されるところだった彼らは、ウッディの説得もむなしく、サニーサイドと呼ばれる託児施設行きを決断する。ロッツォというクマのヌイグルミに迎えられ、新たな遊び相手が出来たことを喜ぶ一同。ところがそこは、おもちゃを破壊する凶暴な幼児ばかりの、おもちゃにとってまさに地獄といえる場所だった。ひとりその難を逃れていたウッディは、仲間たちの危機を知り、急いで彼らのもとへと向かうのだったが…。”


 ラスト15分あたり「これがやりたかっただけだろ!!」ってツッコミたくなるけれど、そのシーンへ到達するまでに展開される冒険、笑いのセンス等、エンターテイメント映画としてほぼ申し分なし!観客を楽しませ、かつ制作側が込めたメッセージを伝えるという、映画としての本分を忠実にこなした。

 アンディとボニーが一緒にウッディ達と遊ぶところ。ウッディが久々に、そして最後にアンディと遊ぶシーンでもある。アンディの思い出や魂がボニーへ受け継がれていくための「儀式」のようなものにも見えた。

 過去に自分が歩んできた道のりを振り返り、自分が今までどんなモノに触れてきたのか、どんなモノと生き、どんなモノとの別れを経験したのか、そんな「出会いと別れ」をどれほどたくさん経験しただろうか、そんなことを思い起こさずにはいられない映画だ。
 そして更にいうと、自分が現在進行形で関わるモノとの別れが来るのか、そしてその先に待つ新たなモノとの出会いは何なのか・・・。オモチャ映画であるにも関わらず、人生指南な要素が色濃い。(もともとトイ・ストーリーやピクサー映画はそんなのばっかりだが、今回は特に如実。)はっきり言って、完全なる大人向け映画でしょう。子供が見たってわかんないよこんなの。(褒めてます)

 技術面でも、キャラクターの表現力がハンパなく進化していて、人間レベルの演技をさせていた。時代を感じる。

2012年4月21日土曜日

仮面

ピーター・パーカーは、
スパイダーマンになると
モテモテになる。

ブルース・ウェインは、普段はイカれた大富豪。コウモリのスーツを着ると、静かなる守護者になる。

着ぐるみの力。
マスクの力。
象徴化・偶像化とはすごいものだ。





2012年4月20日金曜日

いよいよ明日公開「裏切りのサーカス」


遂に公開。絶対観たい。



でも中部地方の上映館は、今のところTOHOシネマズ名古屋ベイシティのみ。
後になって他の映画館も巡回するかもしれんが、断言できない。
絶対に見逃したくない。これはもう港区まで見に行くしかないか。。。

本作にはゲイリー・オールドマンとトム・ハーディが出ているが、彼らはダークナイト・ライジングで、ゴードン署長とベインを演じる仲。本作を楽しみつつ、7月の衝撃に備えるのだ。

2012年4月19日木曜日

時代が求めた「グスコーブドリの伝記」



宮沢賢治の名作「グスコーブドリの伝記」が、
なぜか、アニメーション映画化することとなった。






まぁ理由は明白で、寒冷化したイーハトーブを救うために、二度と帰れないと分かっていながら、火山へ行き、自らの科学技術によって命を引き換えに噴火を起こして、イーハトーブを救うというお話だからでしょう。


自然災害とは何か?  科学とは何か?  命とは何か?
3.11後の日本映画として、コレ以上のテーマはないでしょう。

イーハトーブってことは、舞台も同じ東北だしね。


2012年4月18日水曜日

宇宙が生まれる

AKIRAにこんなのあったよね。
まるで宇宙が生まれたみたいだ。



水面下のスピーカーから音を出すと、音の振動で弾くような振動が水面に現れて、天井の正面を乱反射させるんだそうだ。



2012年4月17日火曜日

アプローチ <泥酔投稿>

ここに一枚の紙があるとする。

この紙を、右から左に向かって幅方向2/3までビリビリ破る。定規を使わず、フリーハンドで。
すると、破れた線は蛇行して、多分上か下に偏る場合が多い。

では今度は、左から右に幅方向2/3までビリビリ破る。定規を使わず、フリーハンドで。
すると、破れた線は蛇行する。上か下かに偏る。

このとき、右からの敗れ目が上に蛇行したと過程する。それに対し、左からの破れ目は、上に行くときもあれば、下に行くときもある。
左からの破れ目が上に行ったなら、右からの破れ目に到達して、上端と下端の2つに紙が破断する。
逆に下に行ったなら、右からの敗れ目には到達せず、破断しない。
縦方向から見れば、紙の幅の中心1/3で、右からと左からの破れ目が重複している箇所が発生する。

物事を思考するにあたり、目的をどう定めるべきか、というアプローチと、なぜそれをするのか、というアプローチは、スタートが対極地点のものであり、かつ論理の進行方向が全く逆の方向なんだと思う。
だから、目的は何か(What?)の論理構築と、なぜ(Why?)の論理構築とが、歩み寄るんだけども、必ず同じ論理ルートであるとは言えない。言い換えると、論理構築のルートが交わるとは限らないと思う。

よって、着想のスタート地点こそ、発想・個性の形成を担う大きな別れ目になり得るのかなと。
では、WhatかWhyか、どちらを出発点とすべきか。
自分はWhy派だ。

2012年4月16日月曜日

ケビン・スペイシー無双「アメリカン・ビューティー」

10年以上も前のオスカー受賞映画「アメリカン・ビューティー」。
見たことがなかったんだけども、親類から勧められて、初鑑賞。
こりゃー傑作だ。




 テンポがよくてダレないし、ストーリーも相当引き込まれる作りになっていて驚き。こういう「何気ない生活」が面白いのは、ひとえに脚本の力だ。プロットのインパクトや見せかけの衝撃に頼り様がないのだから。ベースが日常生活なので一見テーマは味気ないのだけど、それが逆に良くて、一般鑑賞者から共感されやすかっただろう。ましてや、描かれる情景はモロに家庭崩壊。米国の中下流階級社会の慢性病になっているはず。この何気ない不安、やりどころのない孤独感は、正に現代の人々(アメリカ人だけでなく)にマッチしたものだと言える。
 そして、本作のケビン・スペイシーの何と素晴らしいこと!オスカーも納得。
 あと音楽もよかったな~。(グリーン・マイルと同じ「トーマス・ニューマン」納得。)



 美とは何だったろうか?
 この絶望的な日常に、美なんてあるのか?
 むかし存在していた美はどこにいってしまったのか?
 そんな事を考えた。(ちょっとオトナ帝国っぽい?)

 先の見えない不安と絶望の「日常生活」を送る人達に対し、別の視点を提起する映画。・・・というか、いつの間にか視点を変えていたのは自分なんじゃないか、とも思える映画。こんなのシャラ臭いとか、胡散臭いとか、現実逃避だとか、偽善だとか、開き直りだとか、虫酸が走るとか、そういう主張もあると思う。だから、この主張を鵜呑みにしろとは言えない。(というか、完全に鵜呑みにしてしまったら人としての前進が終わってしまうような気がする。)ただ、「こんな視点もある」って程度に軽く構えて見るのがいいなんじゃないかな。そうすれば、ちょっとだけ気持ちが楽になると思う。

日常生活を送る人々に、心の深呼吸をさせてくれるような映画だった。




2012年4月15日日曜日

ジェイソンのボディカウント(殺害人数)一覧表


 今年は13日の金曜日が何と3回もある!一昨日がその2回目だった。ちなみに次回は7月。それを記念してか(?)ジェイソンが今までの映画の中で殺してきた人数を一覧表にしたインフォグラフィックを発見。

Graphic: Friday the 13th – Jason Voorhees’ body count −NATIONAL POST−

 もう何がなんだか・・・。 

 ちなみに、このカウントが始まっているのが「Friday The 13th PartⅡ」からになっている。これは、初代13日の金曜日は、黒幕がジェイソンのかーちゃんだったっていうオチを反映してもの。一作目は、結構サスペンスフルな正統派ホラースプラッターだったと記憶してるんだけど、その後でジェイソンが実際に手を下すようになってからは、単なるボディカウント映画に成り果てたね。しまいにゃ宇宙にだって行ってしまうのだから。

 ジェイソンXがフレディVSジェイソンより後のカウントになっているのは、やはり時系列を意識した?


 ところで、自分はあまりスプラッター映画を見る機会が無いのだけど、「フレディVSジェイソン」はDVDを購入するほどのお気に入り。ホラーやスプラッターとしての楽しみではなく、エルム街とクリスタル・レイクの交わるパラレルワールドの面白さ、そしてフレディとジェイソンによる大興奮のガチンコバトルが最高に面白い!エルム街の悪夢と13日の金曜日について、ある程度の基礎知識が必要になるけども。



うーん、熱い。



2012年4月14日土曜日

キリアン・マーフィーの超常現象スリラー「Red Lights」

キリアン・マーフィー、シガニー・ウィーバー、ロバート・デ・ニーロが出演する映画、「Red Lights」。
超常現象を科学的に解明する研究者コンビ役の、シガニー・ウィーバーとキリアン・マーフィーが、超能力者のロバート・デ・ニーロへの調査を開始するが、「あれ、こいつだけはガチかも・・・」みたいなお話だ。
これは面白そうだ。



キリアン・マーフィーが爽やかな青年役をやっているのに若干の違和感・・・と思ったら、トレーラー後半ではしっかりブッ壊れてて安心(笑)



2012年4月13日金曜日

ジェダイばあちゃん


このテの個人製作ライトセイバー動画は死ぬほど投稿されてる。
検索すればあっという間に見つかるし、YouTubeからその後に次から次へとオススメされる動画を見ているとキリが無い。
ライトセイバーという武器がいかにアイコン的存在かが伺える。


これはまぁまぁかな。

2012年4月12日木曜日

中也の詩「湖上」


中原中也の詩のなかでも、これはとても分かりやすいし共感しやすいし、何よりリズム感がすごい。名作なり。



    湖上

ポッカリ月が出ましたら、
舟を浮べて出掛けませう。
波はヒタヒタ打つでせう、
風も少しはあるでせう。

沖に出たらば暗いでせう、
櫂から滴垂る水の音は
昵懇しいものに聞こえませう、
-あなたの言葉の杜切れ間を。

月は聴き耳立てるでせう、
すこしは降りても来るでせう、
われら接唇する時に
月は頭上にあるでせう。

あなたはなほも、語るでせう、
よしないことや拗言や、
洩らさず私は聴くでせう、
-けれど漕ぐ手はやめないで。

ポッカリ月が出ましたら、
舟を浮べて出掛けませう、
波はヒタヒタ打つでせう、
風も少しはあるでせう。


2012年4月11日水曜日

何かやっときゃ、何か起こる。




今回の「経験が情熱を生む」なる投稿は、ちょっとすごい。

”””
「行動」せずして「経験」することはない。
「経験」なくして「感情」は動かない。
「感情」なくして「情熱」は生まれない。
「情熱」なくして「継続的に何かを続けるモチベーション」は生まれない。
「継続的に何かを続けるモチベーション」なくして、難しいことを実現することは難しい。
”””





そしてさらに・・・、
漫画「げんしけん」より、オタクをヤメロと言われた斑目くんが、反論して放ったセリフ。


班目「無理だね。なろうと思ってなったもんじゃねぇからやめる事もできねぇよ。」



好きなことってのは得てしてそんなモノで、
行動の結果なのだ。



いまの仕事からも感じるけど、
自分に合ってるとか、合ってないとか、
仕事が好きだとか、嫌いだとか、
趣味があるとか、無いとか、
そういうのはあくまで後天的に定まるものだよ。

だから、こんなような前提で行動を縛っちゃいかんと改めて思う。


(なんだか、卵が先かヒヨコが先か みたいな議論だが。)


2012年4月10日火曜日

漢臭さ300%「キラー・エリート」


ジェイソン・ステイサム、クライヴ・オーウェン、ロバート・デ・ニーロ。

なんという濃いキャスティングなんだ。


2012年4月9日月曜日

ミシェル・ウィリアムズの為の映画「マリリン 7日間の恋」

 ミシェル・ウィリアムズ主演「マリリン 7日間の恋」を見た。
 完全にミシェル・ウィリアムズに賞を獲らせる為の不純な映画だったけども、思ったより楽しめて満足なり。同様に俳優賞が目的だったデカプーの「J・エドガー」と比較すると全然マリリンの方が良い。テーマが恋愛なので分かりやすいからか?

ただし、ジュディ・デンチの無駄遣いと、先行き不安なエマ・ワトソンにはちょっとガッカリ。




"1956年、マリリン・モンローは、ローレンス・オリヴィエ監督・主演作「王子と踊り子」の撮影のためロンドンに降り立つ。演技派への飛躍を胸に、本作に並々ならぬ意欲を見せていたマリリンだったが、彼女の学んでいた演技法はオリヴィエによって否定されてしまい、様々なプレッシャーから遅刻も常習化していく。おまけに、結婚したばかりの夫アーサー・ミラーは、情緒不安定なマリリンを持て余し、さっさと帰国してしまう。そんな中、撮影がはかどらず苛立つオリヴィエからマリリンの見張り役を命じられる第3助監督のコリン・クラークだったが…。"


 ストーリーを考えず、率直に言ってしまうと、マリリン・モンローが、「稀代のメンドクサイ女」であることがわかる映画。天然で悪気のない純真無垢さが見て取れるけども、これを普通の女性がやったら、単なるワガママ娘に見えてしまう。
 本作は、コリン・クラークの回顧録やその他の証言・史実を逸脱しないよう忠実に描かれているように見える。でも単純に描くのではなく、なんとか彼女のワガママ素振りを見えないように描こうと努力していたに違いない。それでも見えてしまう(というか、必然として描かざるを得ない)ワガママっぷりは、前後の関係性でうまく正当化できていて、最後はなんだかんだでスッキリする。これを脚本家の努力と言わずして何とする!?・・・でもアカデミー賞で脚色賞はノミネートされてないのね。確かにもっと脚色して面白くすることもできたでしょうよ。でも今のシナリオの方が「事実と言う名の"地"に足ついた」感じがするんで、好感が持てるし、リアルだと思うね。

 とはいえ、ハッキリ言って、というかヤッパリ、本作の魅力はミシェル・ウィリアムズに限る。正直ここまで凄いとは思ってなかった。完全にマリリン・モンローになりきっていたよホント。相当研究したんだろうなぁ。ストーリー展開はあくまでコリン・クラーク視点で見たストーリー(原題はMY WEEK WITH MARILYN)なので、ミシェル・ウィリアムズはある意味脇役と言われても仕方の無い立ち位置。そんな状況の中、ふと油断すると、ホンモノのマリリン・モンローが本人役で出演しているかのような錯覚に陥ってしまう。一見単なるワガママに見えそうなところを純真無垢に演じることができたのは、彼女の演技によるところが大きいだろう。

 共演する女優にジュディ・デンチがいるけども、彼女は完全にミシェル・ウィリアムズの引き立て役だった。最初の方に少し見せ場があるんだけども、暫く雲隠れ。忘れた頃にまた現れて「初恋は辛いものよ」的な事をコリンにささやくというチョイ役っぷり。今更アンタ何しに来たんや(笑)と心の中でツッコんでしまった。あの役はジュディ・デンチである必要はなかったね。とはいえ刺身にのった菊の花のようなもの。作品に添える華として一定の存在感はあったかと。

 反面、同じく共演女優のエマ・ワトソン。こちらは逆に「キミ大丈夫か?」と心配になる。全体を通して、表情が硬い。よく考えたら、彼女は子役から演技をしているのに、10年間の出演作はハリポタばかり。ひたすらハーマイオニーのみを愚直に演じてきたために、演技の幅がまるで無いんだ。なんと可哀想な。SWのルークやレイア姫の様に消えてしまわないことを祈る。ラドクリフ君を含めてね。
※ロンはハン・ソロ的位置なので生き残りそうだ。

 男優で言うと、ケネス・ブラナーのローレンス・オリビエが素晴らしかった。本当に素晴らしかった!・・・と思ったら、やっぱり彼も助演男優賞にノミネートされてた。あのクリストファー・プラマー本命な雰囲気はさすがに破れなかったか・・・。こっちの方がいい味だしていると思うけどなぁ。

 というわけで、キャスト中心に観察してみた本作でありました。


2012年4月8日日曜日

コミック版「キック・アス」


 クロエ・モレッツの映画「キック・アス」が気に入っていたので、原作コミック版を読んでみた。なかなか面白かった。




 大まかなアウトラインは映画版と同じだったけど、若干のディテールや結末が違っていた。この場合、映画がコミックの内容から変えて描いたという事なんだけども。

 悪く言えば地味、よく言えばリアルな展開。映画公開当時、コミック版と違うラストであることについてファンが憤慨したとか聞いたけども、気持ちがわかる。地味でリアルな点こそ、コミック版キック・アスの味だと思った。

でもこれでは、一般ウケはしないね。自分は好きだけども。

 なので劇場版は、原作のリアルさに着目しつつも、あくまで「ヒーロー映画」を目指して作ったんだろう。劇場版は何だかんだで「華」があるもの。(ここでいう華とはクロエ・モレッツだけじゃなく、キック・アスの活躍とか、演出とか、色々と含めて、ね。)
 原作の路線やボンクラ魂は、エレン・ペイジの「スーパー!」に受け継がれていると思う。(テーマはまるで違うんだけども。)



2012年4月7日土曜日

ライアン・ゴズリング主演「ドライヴ」



いやぁ、タイトルに騙された・・・。
これは、カーチェイスアクションでもなければ、クライムアクションでもない。

今すぐタイトルを「男道 〜ザ・生き様〜」に切り替えろ! と叫びたい。




"自動車修理工場で働く孤独で寡黙なその男は、卓越したドライビング・テクニックを買われ、映画のカースタントマンとして活躍する一方、夜には強盗の逃走を手助けする闇の仕事も請け負っていた。そんなある日、同じアパートに暮らす人妻アイリーンとエレベーターで遭遇し、一目で恋に落ちる。次第に距離を縮めていく2人。彼女の夫スタンダードは服役中で、今は幼い息子との2人暮らし。ほどなくスタンダードが出所してくるが、彼は服役中に多額の借金を背負ってしまい、強盗を強要されていた。男は妻子のためにスタンダードの強盗計画のアシストを引き受けることにするのだが…。"


 ドライヴと名乗るからにはカーチェイスが凄い映画なんだと思っていたけども、実際見てみると何だか微妙で、「迫力が有るんだか無いんだかよくわからない」感じがした。アクションシーンもそれほど多くなく、かなり地味。ただやたらと血の描写がリアルだった印象が強い。

 では、結局よくある凡作だったのか? と聞かれると、それはNoだ。見る人を選ぶけども、一部の人間には大ウケする快作だと断言する。

 本作で丁寧に描かれているのは、主演のライアン・ゴズリングとキャリー・マリガン親子との交流だ。そして逆に、その他のシーンは義務的に描いているようにしか見えない。(カーチェイスは一応凝ってたトコあったけども。)よって本作のジャンルはあくまで「ドラマ」をして見るべきものと心得るなり。

 そうやって振り返れば、作品の作り方をスンナリと受け入れることが出来る。
 たとえばカーチェイス。ドライヴ全体を通じたクルマの演出からは「追われている緊迫感」が伝わってくるのがわかる。これは、「追われるドライバー(ゴズリング)及びその車内」のみを重点的に写し、クルマの動きを第三者視点から見せるシーンや、追ってくるクルマのドライバーの視点を映すシーンを極力除外した、「FPS的(First Person Shooter)カーチェイス」になっているからだ。これによって、主人公の緊迫感を観客も一緒になって共有することができていた。
 そしてバイオレンス。暴力シーンに時間を割かない代わりに、血の描写をショッキングにさせることで、緊迫感を描くより、「印象効果」を際立たせることができている。バイオレンスは、描写というより、ストーリー上のマイルストーンとして機能していた。起こった事象を物語の相対基準を定める機能のみに絞ったことで、ゴズリングとキャリー・マリガンの心の交流よりも目立つことなく、むしろ引き立て役としてのみその存在価値を発揮させていた。
 脚本は緻密度は薄く、伏線も弱い。でも、2人の交流には、否が応でも心安らかになってしまう。「人」重視の脚本と言える。
 これらの要素が合わさることで、ゴズリングの「好きだけど身を引く、見を引くけど、命をかけて守る」という、男の哲学の極地を重厚なものにさせたと思う。

 以上の状況証拠から、監督が描きたかったのは、「孤独で孤高で不器用な男の人生に、瞬間だけ、輝り輝いた瞬間」であると考える。運転が物語のキーだったかというと、否でしょう。

 じゃあこれが名作かと問われると、困ってしまう。作品としてのポイントを非常に限定的な場所に置いてしまった分、栄養バランスが悪い偏屈映画と見られてしまうから。監督としては「やりたいことやってやったぜ!」って実感はあるのかもしれないけど、万人ウケするとは決して言い難いんじゃないかな。作品全体を通して表現されるのは、「タクシー・ドライバー」に象徴される様な70年代〜80年代の雑多なアメリカの風景と、当時の時代を彷彿とさせるBGMだ。現代の映画としては浮いているけども、「あの時代の、あの雰囲気」が好きな人にはたまらない。そしてそういう人は得てして、本作のような「孤高の男」の映画が好きである場合が多い。なので、本作を人に勧める時には、その人が好きそうかどうか注意して勧める必要があるね。

 人はともかく、自分はどういう感想を思ったか。そんなもの「大好きだ!」に決まっている。カウボーイビバップに通ずるシブさを5感を通して感じ取ることができた。自分が映画を評価するときは、見終わった後の余韻重視する。見ている時より、見終わった後にジーンとしてきた本作、間違いなく自分にとっては快作と断言できる!


<ネタバレ注意>
 何が一番良かったかって、愛する女の為に、愛する女の前から姿を消したラストが素晴らしく心に響くんだよ!!!


<余談>
ロン・パールマンはヘルボーイにしか見えない。



2012年4月6日金曜日

記号としての「あの頃ペニー・レインと」(酔)


なぜか、ふと「あの頃ペニー・レインと」の事を思い出した。



 この映画は、世間ではあまり評価されていないらしい。映画としての完成度に問題があるからだろうか。しかし、一部の人間には「青春のランドマーク的作品」として、強い意味を持ち、深く記憶に残っている。少なくとも自分にとっては、「スタンド・バイ・ミー」に勝るとも劣らない記念碑的作品。

 映画(特に恋愛系)の好き嫌いは、端的に言ってしまうと、主人公に共感できるか、より具体的には、主人公と同じ経験をしたかどうかが、作品を好きになれるかどうかの分かれ道になる。すなわちペニー・レインの場合で言うと「年上の、少なくとも相対的に大人である女性に対し、恋心と憧れの心が入り混じった複雑な感情」を抱いたことがある人は、この映画が好きになれる。

 一般的な青春恋愛映画は、そのアウトラインが普遍的であるため、広い解釈が可能なので、映画を見た人がどんな人でも、各々の経験と同期しやすい。一方、このペニー・レインにおける複雑かつ限定されたシチュエーションは、解釈の範囲が比較的狭いため、その状況を経験した人間だけしか共感することができない。逆にファンを選んでしまう。

 だから、この映画を万人が好きになれるとは到底思えない。しかし、この映画のケイト・ハドソンを見ると、あの輝かしくも切ない日々を思い出してしまうんだ。




2012年4月5日木曜日

ウディ・アレン監督「To Rome With Love」

007風に訳すと「ローマへ、愛をこめて」とったところか。

個人的には、ウディ・アレン監督より、ややブス若手演技派コンビの共演の方が気になる。
(ジェシー・アイゼンバーグとエレン・ペイジ)




ヒーローごっこの途中で命を落とし、16歳にして母親となり、性犯罪者の去勢を生業とし、偉大なる夢想家の、ブス専発狂エレン・ペイジ嬢の新作に期待。



2012年4月3日火曜日

正に「ダニー・ボイル版007」!


これは・・・。



なんという夢企画!!

記事にもあるように、ロンドン五輪の芸術監督は、ダニー・ボイル。
これはもはや「ダニー・ボイル監督による007の新作」と言うに相応しい!

英国って、昔から女王が鎮座する歴史があるからなのか、「女性が要職に付き、男を従える」という構図がすごく合うように思う。サッチャーにしろ、近年の007におけるMにしろ。これは文化レベルの刷り込みかな。さすがジェントルメンの国。英国紳士の名は伊達じゃない。




2012年4月2日月曜日

さよならBlackBerry?


久々にシビれた記事。



 ブラックベリーは欧米におけるスマートフォンの先駆けだったのに・・・。
オバマ大統領が普段から愛用しているとして話題になったのが、もはや数年前。思えばあの頃が一番の花盛りだったのかな。
 デキるビジネスマンの象徴だった。カッコよかった。マイレージ・マイライフでは、ジョージ・クルーニーとヴェラ・ファーミガがプチプチと連絡を取り合うのに利用してた。憧れた。

 記事にもあるように、GoogleやAppleはビジネスニーズ獲得を順調に拡大していて、ブラックベリーのお家芸は既に珍しいものでもなんでもない。今や軍用にiPadが採用される時代だ。もはや彼らの強みは強みでなくなった。

 どうしてこうなってしまったのか。

 ITの世界はドッグイヤーな時間感覚なので、数年で栄枯盛衰が入れ替わる。日本の一般企業、歴史ある大企業なんかが何十年かけて歩む道のりを、RIMは数年で駆け抜けてしまったのかもしれない。つまりRIMは、腰が重く変革を起こす力の無い大企業の行く末の「縮図」を示しているのではないか?

(ちょっとだけ大ドンデン返しを期待しつつ)RIMから僕らは何かを学ばないと。

・・・なんてね。


2012年4月1日日曜日

ベスト・オブ・エイプリルフール2012


これっきゃないでしょう。
あらゆる小ネタが笑撃なり。




ドラクエ風GoogleMaps。本当に発売するのかと思った。

2012年3月31日土曜日

ドキュメンタリー映画「いのちの食べかた」


自分は、ドキュメンタリー映画を楽しむのは結構苦手だ。
ウォール街の裏を暴いたインサイド・ジョブは楽しめたけども、華氏911とか、スーパーサイズ・ミーなんかは、なかなか話に入り込むことが出来なかった。

でもこの「いのちの食べかた」は違った。
自分が映画館で見たドキュメンタリーの中でも一番衝撃を受けた。



概要 −allcinemaより抜粋−
"オーストリアのドキュメンタリー作家、ニコラウス・ゲイハルター監督が、我々が普段なにげなく口にしている食物が、実際にどのような過程を経て食卓に届くのかを丹念に取材・撮影した食育ドキュメンタリー。世界中の食糧需要を満たすため、野菜や果物ばかりでなく、家畜や魚でさえ大規模な機械化によって効率的に生産・管理されている現状を踏まえつつ、さまざまな食物の生産現場に入り込み、業界の不文律により撮影が許されることはほとんど無いという屠畜シーンを含め、1つのいのちが人間の食物へと姿を変えていく過程を、詳しい説明やナレーションを排し、ただありのままに映し出していく。"


 牛の解体工場。牛がコンベアによって流れてくると、作業員は牛に電気ショックを与え、あっという間に屠殺する。そして手際よくフックに引っ掛けたり、皮を向いたり、頭や手足を切り落としたり・・・。まるでクルマの生産ラインのような神業だ。何が起こっているのか分からないくらい素早い工程ばかり。これはショックだった。魚なんて、自動ロボットナイフが腹部へ切込みを入れ、内臓をバキュームで自動吸引していくんだ。なんという高効率。命ある存在なのに。頭がおかしくなりそうだったのを、今でも覚えてる。

 でもその様子を「残酷だ」と否定することがどうしてもできない。
 見た当時も、今も。

 なぜなら、例えば今日は、自分は魚のフライを食べたから。
そして先週はマクドナルドのハンバーガーを食べたから。
すなわちその「残酷さの恩恵」を日々受けているという実感が有るからだ。

 この映画を見て、「生きた牛とハンバーガー」が同じ物体であることを初めて本気で認識できた。僕ら人間は、「牛肉」という食材ではなく「牛を殺して得た、牛の体の肉」を食べているんだ。

 とはいえこの映画には、それを「命を軽んじた工程」だと批判するような描写は無い。屠殺を極端に強調することもなく、ただ淡々と、その「効率化された食材生産」の映像を映し続けているだけだ。
 なぜか。
 それは多分、どうにもならないからだ。
 増え続けた人口を、社会を、経済を維持し続けるために、この「超効率化された食材生産」を、やめるわけにはいかないから。我々人間は、既に社会と一体化した生物なので、こうでもしないと社会的生活どころか、個体生命を維持することもできないからだ。スーパーで赤身の刺身を買ったりレストランでステーキを注文できても、魚や牛を捕獲・解体することはできないもの。だから、もう人類は後戻りできないんだ。

 この映画は、「僕の命を支える幾万もの命」といった安易かつお涙頂戴なテーマが主じゃないと思う。それよりも、もっと広い視野で見て、「食材という名の"プロダクト"の仕組み」を可視化し、我々が多い隠してきた人間社会の土台を認識させ、それを正面から見つめた上で社会を回していこうとするの目的なんだ。

 そういう意味では、邦題の「いのちの食べかた」という名前はテーマを歪めている。英題の「OUR DAILY BREAD」の方がしっくりくると思う。

 よって映画を見たからといって、食事中に感謝をしろ、祈りを捧げろとヒステリックに強制する気にはなれない。ただ、ふとした瞬間だけでもいいから、我々の社会に隠されてしまった、動物・植物と食材の間を繋ぐミッシングリンクの事を思い、社会を違う視点で見てみるといいんじゃないかなと思わずにはいられない、そんなドキュメンタリーだった。



2012年3月30日金曜日

本日の一句。



凝り性と  優柔不断は  紙一重


凝らず譲らず 決断すべし




反省反省。

2012年3月29日木曜日

コーヒーで天気予報


コーヒーを使うと、
その場所で近いうちに雨が降るかどうか、
予想することができるそうだ。

以下、抄訳・・・。



”天気予報士の予想は信頼できないって?
そんなあなた!この方法を試すと良いかもしれません。
雨を予測するのに必要なのは、朝のコーヒー一杯だけなんです。

BackpackerMagazineによると、
これはバックパッカー達の間で使われている裏ワザなんだそうですよ。


・・・まず、カップにコーヒーを注ぎ、表面の泡を注意深く観察します。

もしその泡がカップの中央に集まっていたら、
高気圧がコーヒーの表面中央にその凸をつくらせていることを意味するので、
良い天気になる可能性が高いです。

しかし、泡がカップの側面でリング状に形を作っていたとしたら、
あなたは低気圧の中にいるはずなので、
雨が降る確立が高いでしょう。

このワザは、野外撮影なんかを計画する時に必ず役立つはずです。

※ただし、コーヒーは十分な油脂を含ませ、カップの側面が直線になっていることが条件です。”



今度やってみよう。





2012年3月28日水曜日

IMAX映像



(大型画面+ブルーレイディスク)× IMAX映像 = 空前絶後の映像体験。
ダークナイト・ライジングもIMAXシアターで観たいんだが・・・。



2012年3月27日火曜日

クローネンバーグ監督最新作「コズモポリス」


 デヴィット・クローネンバーグ監督最新作「コズモポリス」のティーザートレーラーを発見。主演はトワイライトの男の子らしい。



 これは・・・現時点で既にカルト化の予感!!クローネンバーグらしく、当然ながらエグ描写あり。でもかなりスタイリッシュな映像でシビれる。これは楽しみだ。




2012年3月26日月曜日

ディカプリオとタイタニック 因縁は続く


先日、タイタニック3Dの予告編を見て、ふと思った。



 今年もデカプーは、あれだけ渇望するオスカー像に届かなかった。
イーストウッド作品に出演できて、「今回こそ・・・!」と希望と執念をもって撮影に望んでいたのに、だ。彼の落胆は大きいだろう。

 しかも、そんなタイミングで公開されるのが、彼の不遇ジンクスの決定打となったタイタニック。人々には、再び「レオ様」の王子様イメージが焼き付くことだろう。多分、収益もソコソコ稼ぐ。何せ同じ内容の3D化なのだから製作コストは極小だもの。

 結局、「タイタニック俳優」としての呪縛から逃れられないデカプー。彼の胸には、どんな思いが湧いているだろうか。



2012年3月25日日曜日

ティム・バートン監督「ダーク・シャドウ」 その2


予告編を発見。ティム・バートン監督最新作の続報。



 お気に入りのエヴァ・グリーンが大活躍や。007カジノ・ロワイヤルの際には「007史上最高のボンドガール」だとして高評価を得た女優。顔立ちはかなりエグイ系の美人。でもヴェスパー・リンドを演じた時には、芯の強さと女性なりの脆さを併せ持つ雰囲気を見事に表現していて、今でも感動が思い起こされる。ダニエル・クレイグとエヴァ・グリーンのコンビは、永遠に記憶に残る007コンビになるだろう。ま、今回の映画はコメディータッチになる雰囲気なので、彼女がどれだけ力を発揮できるか未知数だけども・・・。
 今年はユアン・マクレガーとの共演作「パーフェクト・センス」の公開もあり、久々の当たり年になってくれるとうれしい。

 ジャッキー・アール・ヘイリーが出ておりますな。ちょっと楽しみ。
リトル・チルドレンの性的異常者や、ウォッチメンのロールシャッハのイメージが強い。本作では多分ギャグキャラとして通す?演技力はピカイチなので、期待大。

 そして、どうしてクロエ嬢はいつもこんな役になるんだか。完全にキック・アスの延長線上だね。ドS女優一直線や。スーパー8のエル・ファニングみたいな清純派とは全然違う毛色で頑張っております。


 ついでに、ジョニー・デップとミシェル・ファイファーにも期待しておこう。


2012年3月23日金曜日

オバマ大統領の手話


アメリカ・メリーランド州で開かれた、とある集会での出来事。




聴覚障害の参加者「(手話)あなたを誇りに思う。」

オバマ大統領 「(手話)ありがとう。」



オバマ大統領は、以前から基本的な手話をマスターしていたんだそうだ。
かっこよすぎる・・・。




改革のスピードがスローペースで、成果がなかなか上がっていないけど、
次の4年間も引き続き大統領としてがんばってほしいもんだ。

はたして大統領選挙の行方は・・・。


2012年3月22日木曜日

「鎮三山の黄信」の発言



「 真実とは 問いかける事にこそ、その意味もあれば価値もある。」

(托塔天王・晁蓋の教え)

2012年3月21日水曜日

iPhone(およびiPod touch)の三大ミステリー


不思議1:購入から1年を超えると、電源ボタンが壊れる。

不思議2:購入から1年を超えると、ホームボタンが壊れる。

不思議3:購入から1年を超えると、ついうっかり液晶保護ガラスにヒビを入れてしまう。


異論は認める。

2012年3月20日火曜日

マーティン・スコセッシ「ヒューゴの不思議な発明」


ヒューゴが頑張ったのは認めるけど、ヒューゴは発明したわけではないだろう!

・・・という映画「ヒューゴの不思議な発明」を見た。


ストーリー −allcinemaより抜粋−
1930年代のフランス、パリ。父を亡くした少年ヒューゴは、駅構内の時計台に隠れ住み、時計の整備をしながら孤独な毎日を送っていた。そんな彼の心のよりどころは、父が遺した壊れたままの不思議な“機械人形”。その修理に悪戦苦闘していたヒューゴは、おもちゃ屋で万引きを働いて店主の老人に捕まり、人形について書かれた大切な父のノートも取り上げられてしまう。そんな中、ヒューゴは老人の養女イザベルと仲良くなり、一緒に機械人形の秘密を探ってゆくのだが…。

 本作は、今年のアカデミー賞において「アーティスト」と作品賞を争った作品。両作ともに、「過去の映画への愛に満ちた作品である!」として評され、各種映画賞ではデッドヒートを繰り広げていた。そんな評判もあって期待して見に行ったものの、それほど楽しめず、拍子抜けしてしまった。

 確かに愛に満ちた感動のラストを迎えたけども、どうもストーリーのスジとしてしっくり来ない。多分、「機械人形の復活」と「映画愛」とのリンクが弱いからじゃないかと思う。まぁそのへんは原作に従わざるを得ない点だ。まぁ大目に見よう。問題なのは、序盤からクライマックスへ突入するまでの展開が単調で、山や谷の作りが乏しいように感じた点だ。あれは観ていてちょっと辛かった。編集やシナリオがちょっと悪かったなぁ。

 映画を見る際、テーマ性は作品の魅力として評価されるべきで、その点において本作はピカイチであることは紛れも無く事実だ。3D映画としての表現も良かったし。
 自分た楽しめなかったのは、テーマへの共感が足らなかったからかもしれないね。そんなに映画を愛していないのかな?

 キャストは良かった。ヒューゴを演じるエイサ・バターフィールド君が良かった。はともかく、青く透き通った純粋な眼がたまらない。ヒューゴの親父役はジュード・ロウ。とっても短い時間の出演だったけども、機械イジリが好きな時計職人としての雰囲気が溢れ出ていて、かなり胸に残った。クロエ・モレッツは、キック・アス時代とは比べ物にならないくらい成長してしまったのに、未だにカワイイんだホント。クリストファー・リーはサルマンやドゥークー伯爵の演技でしか記憶が無く、今回の善人役には違和感が・・・。





2012年3月19日月曜日

リドリー・スコット監督「プロメテウス」


エイリアンの前章譚。
この世界観たまらん。
なんて気持ちの悪く、不気味で、ゾクゾクする予告編なんでしょうか。


元祖ドラゴン・タトゥーの女ノオミ・ラパス、マイケル・ファスベンダー、シャーリーズ・セロン、ガイ・ピアース、パトリック・ウィルソンなどなど。


2012年3月18日日曜日

ティム・バートン監督のダーク・シャドウズ

ティム・バートン監督とジョニー・デップのおなじみコンビ最新作「ダーク・シャドウズ」がやばい。

さらにお馴染みのヘレナ・ボナム・カーターに加え、クロエ・モレッツ、そしてエヴァ・グリーンが参加するんだべ。

これは見なければ。

2012年3月17日土曜日

ユーザ視点のガイガーカウンター


Makeの記事で、こんな記事を見つけた。

なんでもこれ、ガイガーカウンターだそうだ。
一目見た時は、オモチャの端末かと思った。

<抄訳>
 東日本大震災から一年、Makeのアドバイザー団体メンバーのバーニー・ファンが、一般市民にも使いやすいガイガーカウンターを作り上げた。彼は、公平中立な放射線モニタリングデータに基づく、現地農作物の信頼性を確立するためのオープンなセンサーネットワークの確立を目指す団体「SAFECAST」にインスパイアされていた。

 ”農作物を放射線モニタリングする上での課題は、そもそもモニターが研究所向けに作られているところだ。精密で信頼性も高いのだが、大型で高価、しかも使いにくい。計測値の意味を理解するには、原子核物理の学位が必要だ。さらに問題なのは、今回のような事故において、放射線監視が重要であることが、民間人の注目を浴びず、「時既に遅し」である点だ。
 そのため私は、直感的で使いやすい新しいガイガーカウンター挑戦に着手した。十分に洗練されていて、民間人でも毎日自然に持ち運べるんだ。”

 彼は、プロトタイプをデザインするまでの経緯や初期デザイン等を、自身のサイトで公開している。彼は2つのプロトタイプを、PCB、組立、CNC切削加工すべて含めて3000ドル以下で作り上げた。


原発危機を機に立ち上がったSAFECASTの構想は非常に面白いと思う。

 「原発危機のせいで、放射線を気にしなければならないハメになった」と言われると確かにそうだし、嫌な事だ。本当に嫌な事だ。
 で、その反面、放射線はそもそも常時全地球に降り注いでいて、地方ごとの標高や気候によって変動する。しかも大なり小なり人体に影響を与えている。これは原発危機をキッカケに思い知らされた現実であり、紛れも無い事実。
 じゃあ例えば、花粉予測と同じ感覚で、放射線監視・予測が行われる未来というのはどうだろうか。僕らに根付く、放射線への不理解や恐怖が克服されて、オープンな監視システムが出来上がれば、いわゆる「これで世界は少し良くなる」ってことじゃないだろうか。
 放射線監視の必要が無い世界こそ平和な世界だと主張する人がいるかもしれない。でもそれは、たまたま地球上の放射線レベルが、我々に適したレベルに落ち着いているからこそ言えるだけであって、この先の自然環境がどのように進化するかは、地球科学と宇宙物理学に委ねるしかない世界だ。46億年生きた地球にとっては、基準となる気候・環境なんて無いんだから。
 これは温暖化問題に共通する点だけども、問題の本質は「地球環境を破壊すること」とか「現在の気候から逸脱すること」というより、「我々の住めない地球になってしまうこと」だよ。もし地球に巨大隕石が落ちてきて氷河期になったら、人類は地球環境をいじくって人間や動物の住みやすいように改変させるはず。だからモニタリングは必要なんだ。

 原発容認・反対かどうかは全くの別問題としてね。


2012年3月16日金曜日

ロード・トゥ・パーディション




 トム・ハンクス主演「ロード・トゥ・パーディション」は、2002年に日本公開された、ギャング映画。いままでずっとイイ人の役を演じることが多かったトム・ハンクスが、珍しくダークな役を演じている。
 このとき、前作「キャスト・アウェイ」でアカデミー賞にノミネートされたばかりの絶頂期。「アメリカの良心」との二つ名を持つ屈指の善人トム・ハンクスは、その持ち前の演技力で、自らの印象と真逆とも言える役柄に挑戦した結果・・・全く似合っていなかった!!

本作は、名だたる名俳優、そして名将の集った作品。





主演にトム・ハンクス、









その脇を固めるのは、最近お亡くなりになってしまったポール・ニューマン、










ジュード・ロウ、










監督はサム・メンデス!








これらが、予告編で、大々的にアピールされていた名前。









でもヒッソリと、こんな人も出ていました。








 この映画での、ダニエル・クレイグの醸しだすキモさは異常だった。この映画が劇場公開された時、この俳優は絶対に悪役専門だ!大っ嫌いだ!って心底思ってた。
 それが今や、世界で最もセクシーな俳優として上位にランクインするまでに至る。ロード・トゥ・パーディションでの雰囲気は、完全に演技だったのね。
すごいよクレイグ。
 年末公開の新作007「スカイフォール」で、ダニエル・クレイグはサム・メンデス監督と再び組むことになる。はたして・・・?



だがしかし、なぜリスベットをフッた?

2012年3月15日木曜日

iPod Touchのホームボタン


いよいよ「全く効かない」の領域に突入。
これはもう修理に出すしかないね・・・。

iOS製品のホームボタンや電源ボタンの故障は、かなり頻繁に起こるんだとか。それがわかってるなら、もう少し耐久力のあるボタン使ってくれよ・・・。

以前、知人のiPhone3GSで電源ボタンの故障が起こっていたため、「電源ボタンを頻繁に押すと故障の原因になるのか」と思い、ホームボタンを多用していた。そしたら、逆にホームボタンの方が先に寿命を迎えたわけか。そういうショボイ部品を使うトコロはAppleの嫌いなところだ。

あー、ショック。


2012年3月14日水曜日

子供時代にマネをした必殺技

子供時代にマネをした必殺技 TOP5









● かめはめ波 >ドラゴンボール・孫悟空











● 霊丸(レイガン) >幽☆遊☆白書・浦飯幽助










● アバンストラッシュ >ダイの大冒険・ダイ











● メドローア >ダイの大冒険・ポップ











● 牙突(左片手平突き) >るろうに剣心・斎藤一





公式に牙突を放つ事ができるなんて、なんて羨ましい男なんだ江口洋介。














というわけで、実写版るろうに剣心・特報第二弾公開。



「おろ」って・・・。

実写化するなら追憶編にしろとあれほど・・・。


2012年3月13日火曜日

読書

会社帰りにカフェに寄って読書。
たまにはいいんだんだな。

2012年3月12日月曜日

スピルバーグの「戦火の馬」


スティーブン・スピルバーグ監督の最新作「戦火の馬」を見た。

 見たのは昨日だけども、感動があと引いていて、今でも余韻を感じられる。ゆえに、評価は鑑賞後ジワジワと上がっている。



ストーリー−allcinemaより抜粋−
”第一次大戦前夜のイギリス。農村の小さな牧場で一頭の仔馬が誕生する。その仔馬は貧しい農夫テッドによって競り落とされ、少年アルバートの家にやってくる。そしてジョーイと名付けられた仔馬は、アルバートの愛情を一身に受けて、賢く気高い名馬へと成長していく。しかし戦争が始まると、アルバートが知らないうちにイギリス軍へ売られてしまうジョーイ。やがて、ニコルズ大尉の馬としてフランスの前線へと送られたジョーイは、ついにドイツ軍との決戦の時を迎えたのだったが…。”


本作の一番の魅力は映像美だと思う。
 静かな田舎の美しい風景が繰り返し映され、都度心を奪われてしまった。今でも心に残ってる。序盤における主人公アルバートと馬のジョーイの心の交流は、観ていてとても純粋かつ愉快。後に訪れる別れを、より辛いものにしてくれている。
 逆に動乱の戦場は、迫力と臨場感の溢れた映像を撮っている。さすがはプライベート・ライアンを獲ったスピルバーグ。ノルマンディー上陸作戦ほどエグイ映像ではないものの、銃弾と大砲の轟音、倒れていく兵士、駆け抜け抜けては塹壕に隠れる瀕死の兵士など、さすがと言わざるを得ない。(悪く言えばデジャヴなんだが)調べたら、撮影監督もプライベート・ライアンと同じで、戦火の馬でアカデミー賞の撮影賞にノミネートされていた。なるほどね。


 ストーリーは、王道ドストライク。(悪く言えば陳腐)ただし、効果的な演出が全体を覆っているので、予想通りのストーリーにもかかわらず、ワクワクしながら澄んだ心で体験することができた。しかも軽めの伏線が適度に撒かれており、感動をより深いものにしている点も好感が持てる。(ちょっと軽すぎる気がしなくもないが。)
 ただ、常に緊張が続くわけではないので、のどかなシーンは少し退屈になるかもしれない。ジャンル的に仕方ないのかも。若い人よりは、割りと年齢の高い層の人達に支持されるだろうな。

 もしスピルバーグが、1998年にプライベート・ライアンではなく戦火の馬を撮っていたなら、スピルバーグ監督は戦火の馬でアカデミー賞を撮っていたと思う。(多分、撮影監督も。)戦争映画として、そして「敵も味方も、同じ人間」というテーマとしても共通点が多く、どうしてもプライベート・ライアンと比較されるのが否めない。多分、本作はプライベート・ライアンほど映画史上に名を残すわけではないだろうな。残念だけど。

 そういえば、マイティ・ソーとアベンジャーズで「ゲス野郎・ロキ」を演じるトム・ヒドルストンが「超絶善人・ニコルズ大尉」として出演してて違和感を感じた。「コイツは絶対ジョーイを裏切るぞ!」って思ったけど、最後まで善人だったなぁ。


2012年3月11日日曜日

ルーニー・マーラは主演!(笑)「ドラゴン・タトゥーの女」


デビット・フィンチャー監督最新作「ドラゴン・タトゥーの女」を見てきた。

 この映画はどんな話か?
 それはね、優秀な調査能力やハッカースキルを持ちながらも、幼少からの不幸な生い立ちから人との衝突を繰り返し、不器用に生きることしかできないまま大人になった女性「リスベット」が、ある事件をキッカケに、とある男性知り合い、初めて「心からの信頼」と「淡い恋心」を他人に抱くことができたものの、その気持ちは辛い結末を迎えてしまう、という切ないラブストーリーだよ。

異論は認めない。



下のYouTubeは本編のオープニング映像。
ダニエル・クレイグが出演しているだけに、観ていた時は007を思い出した。


ストーリー−allcinemaより抜粋−
"スウェーデンの社会派雑誌『ミレニアム』を発行するジャーナリストのミカエルは、大物実業家の不正告発記事が原因の名誉毀損裁判で敗訴し窮地に陥っていた。そんな時、国内有数の企業グループの元会長ヘンリック・ヴァンゲルからある依頼が舞い込む。それは、40年前に彼が我が子のようにかわいがっていた一族の少女ハリエットが忽然と姿を消した迷宮入り事件の再調査というもの。やがて、調査が暗礁に乗り上げたミカエルは、ヘンリックの弁護士から社会性はないものの驚異的な情報収集能力を持つ小柄な女リサーチャー、リスベットを紹介される。実は、ミカエルがこの一件を任されるにあたり、信用に足る人物か、その身元調査を担当していたのが彼女だった。こうして、2人は手分けをしながら事件の真相を追っていくこととなるが…。"


<ネタバレ注意>

 ゴスっ娘リスベットに、まさかツンデレ要素があったとは・・・。ミカエルに対して少しだけ頬を緩ませる表情を見せた時、かわいすぎて死ぬかと思った。

 ソニー・ピクチャーズの映画といえば、出演者の使用するガジェットを毎度ソニー製にさせているのに、リスベットにもミカエルにもVaioではなくMacを使用させていた。リスベットが序盤に使用している旧式Macは自分と同型だったので妙にうれしい気持ちになった。これはなぜだろう、原作がそうなのか、監督の指示か・・・。ただ、携帯電話はソニー・エリクソン製の携帯電話だったな。

 で、内容はというと・・・これが何とも評価に難しい。ざっくり言うと、
ストーリーが▲、
演出・撮影・脚本は◎。
合計で◯評価・・・となってしまう。

 なぜストーリーが▲か? 正直、「なんとなくアリガチな展開」と感じてしまったから。「見も凍る真実」と言われたけども、こんな話は別の何かの映画でも見たなぁ、という既視感が拭えなかった。ゆえに刺激が弱く、とても残念。
 ストーリー(特にラスト)は、原作およびスウェーデン版と異なるものであるとの情報があり、明らかに本作の責任だと言わざるを得ない。でもこれ、そもそもこういう系統が得意なデビット・フィンチャー自身が、セブン、ゲーム、ファイトクラブを通してオーディエンスへ耐性をつけさせてしまったんじゃないか?だからこれまでの感覚で同じレベルのストーリーを提供されても観客はもう驚かない。因果応報ってやつだ。

 とはいえ、映像技術については文句なし!素直に「メチャかっこよかった!!」。脚本も、結末には不満足なれど、ディテールやテンポは素晴らしく、2時間半の上映時間の間、全く飽きずに観ることができた。そして、いちいちミカエルやリスベットを映す映像が美しくて、かっこいい。
 ミカエルとリスベットの共同調査の際、ミカエルの調査活動の合間にリスベットがバイクでただ疾走しているシーンを挟み込んでいるところがあった。あれはミカエルのカットの合間にスピード感のある映像を挟み込むことで、単純な調査活動にスリルを与えつつ、調査が進展していることを観客に意識させるためのメタファー的な役割を果たしている。そしてそのバイク映像がとってもカッコイイんだな、これが。妙に頭に残ったシーンだった。





 うわさのモザイク、あれは酷い。フィンチャー監督、そしてルーニー・マーラへの完全なる侮辱だ。
 もしあのモザイクを外したならば、日本配給側の立場から、多分R18指定にしなきゃいけないんじゃないかな?
で、R18指定映画になると、学生観客が見込めないだけでなく、「怖い映画、刺激の強い映画」としての外面を持ち合わせることになり、ライトな一般客に悪い印象を与え、母数がガクンと減ってしまう。すなわち、儲けが減るわけだ。なので映画館は上映を嫌がり、全国的な公開館数は限定されてしまう。
 とはいっても本作は、紛れも無く”世界的超絶話題作”だ。カルト的人気を誇る鬼才デビット・フィンチャー監督の最新作で、かつ、史上最高の007とも噂されるダニエル・クレイグが主演、さらには新鋭ルーニー・マーラに至っては、その素晴らしい演技によりアカデミー賞ノミネートが見込まれる(実際ノミネートされた)。つまり、買付け料金が高い!!ヘタな上映をすると、興行的失敗になり、儲けが減ることが予想される。
 だから、R15までレーティングを落として客数・利益を稼ぐかわりに、作品にモザイクを上書きするという「作品に手を入れる行為」に走ったわけだ。

 つまり、一番悪いのは日本の配給会社でも映画館でもなく、日本の映倫もしくはそれより上層の連中によって作られた「保守的でクローズドな体制」ってことだ。「表現行為としての映画」の尊厳を軽視し、余計な制約をつけることを厭わない、悪質な侮辱的侵害とさえ言える。

 現状、こんな枠組みで年齢規制が成されている。<審査レート>
クソったれ!こんな大雑把な基準では、不必要なものに余計なレーティングを与えることになるだろう!!グロ映像が見たくない人だっているだろうから、何かしらの表示は必要かもしれない。でも、この形がベストか?これじゃあ表現者達はみんな怒っちゃうよ?


2012年3月10日土曜日

プロジェクションマッピング


こんなツールを作ってしまうとは。

素晴らしい。




映画泥棒


どんな映画を見るときにも見せられる「映画泥棒」コマーシャル(?)。
いつか、この被り物を作って、真似っ子するパフォーマンスをしてみたい。



旧バージョンは懐かしいな。

2012年3月8日木曜日

「iPad」でいいじゃない!


 意表をつかれた「無印iPad」戦略。


「iPad3がもうすぐ発表だ!」
「いやいや、次はiPadHDって名前になるらしいぞ?」


 これまで、全世界の各種メディア、テック系ジャーナリスト、そしてAppleファンらは、こぞって新名称の予想合戦を繰り広げてきた。それだけに、今回の発表はみんな「ズコーッ」ってなったようだ。「そんなのアリ!!?」ってね。

 でも、そんなものは当然に「アリ」さ。悩むまでもない。

 だって、じゃあ今キーボードの右隣で充電中のiPod Touchは、iPodTouch4か?
僕が車載しているiPod nanoはiPod nano2か?
今ブログを打ち込んでいるMacBookProは、MacBookPro 1か?
CPUアップデート版は1.5か?Early2007とLate2008モデルは違うのか?
ユニボディ版から2になるのか?


まぁ結論は「そんなの関係ねぇ!」ってことでね。


 第2世代iPhone「3G」が発売されて以来、こんな感じの「名称予想合戦」が恒例行事になっていたので、文句と言うより単なる「拍子抜け」だよね。だから、頭にキテるなんて人はそんなにいないんじゃないか?そりゃ前世代が「2」の名を受けていて、しかも並行して販売されてる事実は混乱を招くかもしれないけど、背景にあるモロモロの事情を鑑みると、それも已む無しじゃないかな?
(iPad2の名前を全部削除しようとすると、外箱まで手を入れなきゃけない。そしてそうは言っても、Appleとしては廉価版として旧式をラインナップさせておくことで群雄割拠のタブレット市場を征服したいわけだし。対Kindleの切り札?)

ああ、Retinaディスプレイを早く観たい。


2012年3月7日水曜日

あと3時間後、Appleが新型iPadを発表


明日、朝起きたらiPad3(iPadHD?)の全容が明らかになる。

Appleの製品発表前夜は、いつもドキドキする。

まるで、クリスマスにサンタクロースのプレゼントを期待しながら寝ていた子供時代を思い出す。


2012年3月6日火曜日

漫画「ARMS」について


昔、週刊少年サンデーで連載されていた漫画「ARMS」。数々の名シーンや名言を残し、今尚多くのファンを魅了する快作。この中で、序盤の宿敵「キース・レッド」が主張した持論が、今でも心に突き刺さって離れない。



キース「追い詰めた敵を、更なる恐怖へ突き落とす為に、与えるべきは何だと思う?」

部下「絶望、でしょうか?」

キース「いや。・・・希望だよ。」




 弱者が今にも敗北せんとする状況の中で、もし希望の光が微かに挿し込んだなら、それは並以上の輝きをもって、弱者に期待を持たせる。・・・そして、もしその希望が潰えてしまったなら、その反動は弱者の心を凄まじく深くえぐり取り、ただ敗北する以上に精神的ダメージを受ける。そう、立ち直れない程の痛みを伴うダメージを。

だから、生半可な希望は、災いの元だ。

2012年3月5日月曜日

残念無念な「J・エドガー」

レオナルド・ディカプリオ。

タイタニック以後、「レオ様」等とあだ名で呼ばれながらアイドル俳優の道を突き進んだ、何とも幸運な男。そして同時に、そのアイドルイメージが災いし、演技の評価はなかなか得られず、今やあだ名は「デカプー」等とジョーク交じりのネタに変わってしまった不運な男。

彼は今、ヤリ手実力派俳優として認められる日を何より渇望する。

しかし、遂に、デカプーは最大のチャンスを迎えた。

共演にナオミ・ワッツとジュディ・デンチ、
脚本に「ミルク」のダスティン・ランス・ブラック、
そして監督にクリント・イーストウッド御大将を迎え、
ガチでオスカーを狙いに行った話題作「J・エドガー」。

この「尋常ではない布陣」に、映画公開前から大きな注目が集まっていた。


・・・。


しかし、フタを空けてみると、評判はそれほど良くならず、デカプーはオスカーにノミネートすらされなかった。


ああ、なんて不運な男!!





”生の終盤に差し掛かったFBI長官J・E・フーバー。彼は回顧録の作成にとりかかり、部下に書き取りを命じて語り出す。1919年、司法省に勤務していたフーバーは、長官の目に留まり、新設された急進派対策課を任される。これを機に、秘書室のヘレンにプロポーズするが断られてしまう。それでもフーバーは、彼女を個人秘書として生涯にわたって雇い続けることに。その後、FBIの前身である司法省捜査局の長官代行となったフーバーは、片腕となるクライド・トルソンと秘書のヘレンだけを信頼し、自らの信じる正義を実現すべく、捜査の近代化と権力の集中を進めていくのだが…。”


まぁ、ノミネート漏れも仕方ないのかな、と思ってしまった。これは難しい。感情移入がホント難しい。
 フーバーの理論である「悪の根絶、監視、弾圧」は、表面的には正しいものの、それは結局のところ、歪んだ己の本心からくる反動だった。しかもそれは客観的悪ではなく、自分の感情が先行してる。この感覚、なかなか理解するのは難しいよ。
 それに、アメリカの歴史的背景が前提知識として入っていないと、ストーリー展開にすらついていけなくなってしまう。面白いんだけども、その面白さを全て汲み取り切ることができなかった。その自覚症状も感じた。ああ、フラストレーション。

 ただ明らかに文句をつけたいところは、ある。それは特殊メイクだ。デカプーとナオミ・ワッツの老人メイクが、何とも嘘クセェ!すごく本物っぽいのに。まるでロボット開発における「不気味の谷現象」のようだ。ジュディ・デンチのリアル老人に比べたら、もう明白。(まぁジュディ・デンチは演技じゃないが。)
観ていて思い出したのが、志村けんと加藤茶の老夫婦コント。あれそっくり(笑)
 こういう場合、普通なら老人キャストを別で設けるんじゃないか?あんなメイクさせてまでデカプーにやらせようってのは、さすがに無理があったんじゃないか?もう、デカプーの「オスカー獲りたい!」っていう目的が先行しすぎだよ。

ただ、デカプー曰く、

「オスカーがいらない俳優なんていないよ。もしそんな事を言っているやつがいたら、そいつはウソつきだ。」

とのこと。ま、ここまで言われてしまうと、逆にカッコイイかな。

 デカプー等と言うと嘲笑しているように聞こえるけど、自分はデカプーが好きだ。デカプーが好きだ。デカプーが大好きだ。彼はアビエイター以後、素晴らしい作品に出演し続けてる。キャッチミー〜とかディパーテッドとかインセプションとかね。中でもベスト・デカプーな作品は、ブラッド・ダイヤモンド。彼の個性が引き出された、素晴らしい演技だった。これを観た時、「ああ、いつか彼にはオスカーを獲ってほしい。」と心の中で思ったもんだ。
隠れた名作「ギルバート・グレイプ」は観ていないのでお恥ずかしいのだが。



 そういえば、デカプーの相方の訳として、「アーミー・ハマー」という俳優が出ていた。風貌と声から、「ソーシャルネットワーク」のウィンクルボス兄弟役の人だとすぐにわかった。キレイで精悍な、如何にもワスプ的な顔立ちと、ドスの効いた低い声が、何ともミスマッチで、忘れられない。しかも今回のホモ演技はなかなかよかった。デカプーを見る目がいちいちエロかったからだ。今回は分身の術を使っていなかったけどもね(笑)




2012年3月4日日曜日

深堀隆介さんの金魚


アーティストの深堀隆介さん。
レジンキャストを何段階かに分けて入れ物の中で固め、層の途中で金魚の絵を書く手法をとっている。まるで本物の金魚が水の中を泳いでいるように見える。



カンバスじゃないし、
造形でもないし、
メディアアートでもない。
テクニックに制約なし。