2012年9月5日水曜日

実写版「るろうに剣心」に見る”左之助不要論”


誰もが期待していなかった、実写版るろうに剣心。予想外の面白さに歓喜した人が多いようで、原作ファンとしては嬉しいラプライズだったよ。全てが完璧の大傑作とは言わないにしても、十分楽しめる出来栄えなので、まだ見ていない人がいたら、是非オススメしたい。

この作品を観て、原作に対する新たな知見を得たと感じた部分がある。それが主題に書いた「左之助不要論」

映画を観て「左之助の役どころが中途半端でよく分からない」という不満を感じたんだよね。つまり、剣心と一緒に戦っているという事のみしかストーリー上のカラミが描かれないので、お話の異物・脇役のように見えるってこと。

相楽左之助といえば、小学生の誰しもがマネした憧れの技「フタエノキワミ、アッー」の使い手。ファンも多いし、幕末の志士達と互角に戦う姿がとてもカッコイイ。そんな左之助をイラナイ子みたいに扱うなんて、実写版のシナリオはヒドイ!・・・と言いたくなるけど、じゃあ原作で彼は本当に必要な子だったか・・・? 

原作るろうに剣心の根底に流れるテーマは、多分こんなイメージだと思う。

第一部 鵜堂刃衛、武田観柳&御庭番衆、雷十太 >正義に生きる元人斬りの活劇。
第二部 志々雄真実 >人を守る新たな人生への目覚め、生への渇望。
第三部 雪代縁 >人斬りとしての人生の贖罪と決別。

左之助は、赤報隊の悲劇を通して幕末・明治の混乱を訴えた、メッセージ性の強いキャラではある。でもそれが描かれて以降、彼は単なる戦力ぐらいにしかなってないんじゃないの?

神谷薫は、剣心の今を支える重要な役。明神弥彦は、明治という新たな時代を誇り高く生き抜こうとする次世代への希望を体現する役。高荷恵は、薫の葛藤を支え、励ます役。斎藤一は、単にライバルというだけでなく、幕末の混乱期の哲学を持ち、剣心の過去の足かせとなる象徴的な役。

さ、左之助は・・・?

赤報隊の話は、第一部に描かれる単発エピソードとして価値を持つけど、その後の展開にワザワザ脚を突っ込まなくても・・・いや、脚を突っ込まない方がいいんだよね。

バカなことを言うな・・・って? いやいや、それを四乃森蒼紫が証明しているんだよ。実写版では、原作の単発エピソードで描かれていた四乃森蒼紫の存在がゴッソリ削ぎ落とされてたことによって、シナリオの発散が最小限に抑えられたんだよ。おかげで、鵜堂刃衛のクライマックスを通じて、「人斬りの過去と不殺(殺さず)を誓った現在との葛藤」という一貫したテーマを、ブレずに根底に据えることができた。四乃森蒼紫は不殺と関係無いからね。・・・そしてそれは、同じく単発エピソード向けのキャラである左之助も同じなんだ、ホントに。

こう考えると、左之助が映画の中で浮いてしまう原因は、映画ではなく、そもそも原作側にあると思うわけ。この点はを映画で整合をとらせるな、左之助の存在をばっさりカットするのが一番手っ取り早いはずだけど、キャラはカッコイイし、ファンも多いからね、消す選択肢は無かっただろうね。 

 せっかくなので、次回作で、「フタエノキワミ、アッー」の実写化に取り組んでもらいたい。青木崇高自身はハマッてたしね。

そんな感想だった。


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