2012年4月7日土曜日

ライアン・ゴズリング主演「ドライヴ」



いやぁ、タイトルに騙された・・・。
これは、カーチェイスアクションでもなければ、クライムアクションでもない。

今すぐタイトルを「男道 〜ザ・生き様〜」に切り替えろ! と叫びたい。




"自動車修理工場で働く孤独で寡黙なその男は、卓越したドライビング・テクニックを買われ、映画のカースタントマンとして活躍する一方、夜には強盗の逃走を手助けする闇の仕事も請け負っていた。そんなある日、同じアパートに暮らす人妻アイリーンとエレベーターで遭遇し、一目で恋に落ちる。次第に距離を縮めていく2人。彼女の夫スタンダードは服役中で、今は幼い息子との2人暮らし。ほどなくスタンダードが出所してくるが、彼は服役中に多額の借金を背負ってしまい、強盗を強要されていた。男は妻子のためにスタンダードの強盗計画のアシストを引き受けることにするのだが…。"


 ドライヴと名乗るからにはカーチェイスが凄い映画なんだと思っていたけども、実際見てみると何だか微妙で、「迫力が有るんだか無いんだかよくわからない」感じがした。アクションシーンもそれほど多くなく、かなり地味。ただやたらと血の描写がリアルだった印象が強い。

 では、結局よくある凡作だったのか? と聞かれると、それはNoだ。見る人を選ぶけども、一部の人間には大ウケする快作だと断言する。

 本作で丁寧に描かれているのは、主演のライアン・ゴズリングとキャリー・マリガン親子との交流だ。そして逆に、その他のシーンは義務的に描いているようにしか見えない。(カーチェイスは一応凝ってたトコあったけども。)よって本作のジャンルはあくまで「ドラマ」をして見るべきものと心得るなり。

 そうやって振り返れば、作品の作り方をスンナリと受け入れることが出来る。
 たとえばカーチェイス。ドライヴ全体を通じたクルマの演出からは「追われている緊迫感」が伝わってくるのがわかる。これは、「追われるドライバー(ゴズリング)及びその車内」のみを重点的に写し、クルマの動きを第三者視点から見せるシーンや、追ってくるクルマのドライバーの視点を映すシーンを極力除外した、「FPS的(First Person Shooter)カーチェイス」になっているからだ。これによって、主人公の緊迫感を観客も一緒になって共有することができていた。
 そしてバイオレンス。暴力シーンに時間を割かない代わりに、血の描写をショッキングにさせることで、緊迫感を描くより、「印象効果」を際立たせることができている。バイオレンスは、描写というより、ストーリー上のマイルストーンとして機能していた。起こった事象を物語の相対基準を定める機能のみに絞ったことで、ゴズリングとキャリー・マリガンの心の交流よりも目立つことなく、むしろ引き立て役としてのみその存在価値を発揮させていた。
 脚本は緻密度は薄く、伏線も弱い。でも、2人の交流には、否が応でも心安らかになってしまう。「人」重視の脚本と言える。
 これらの要素が合わさることで、ゴズリングの「好きだけど身を引く、見を引くけど、命をかけて守る」という、男の哲学の極地を重厚なものにさせたと思う。

 以上の状況証拠から、監督が描きたかったのは、「孤独で孤高で不器用な男の人生に、瞬間だけ、輝り輝いた瞬間」であると考える。運転が物語のキーだったかというと、否でしょう。

 じゃあこれが名作かと問われると、困ってしまう。作品としてのポイントを非常に限定的な場所に置いてしまった分、栄養バランスが悪い偏屈映画と見られてしまうから。監督としては「やりたいことやってやったぜ!」って実感はあるのかもしれないけど、万人ウケするとは決して言い難いんじゃないかな。作品全体を通して表現されるのは、「タクシー・ドライバー」に象徴される様な70年代〜80年代の雑多なアメリカの風景と、当時の時代を彷彿とさせるBGMだ。現代の映画としては浮いているけども、「あの時代の、あの雰囲気」が好きな人にはたまらない。そしてそういう人は得てして、本作のような「孤高の男」の映画が好きである場合が多い。なので、本作を人に勧める時には、その人が好きそうかどうか注意して勧める必要があるね。

 人はともかく、自分はどういう感想を思ったか。そんなもの「大好きだ!」に決まっている。カウボーイビバップに通ずるシブさを5感を通して感じ取ることができた。自分が映画を評価するときは、見終わった後の余韻重視する。見ている時より、見終わった後にジーンとしてきた本作、間違いなく自分にとっては快作と断言できる!


<ネタバレ注意>
 何が一番良かったかって、愛する女の為に、愛する女の前から姿を消したラストが素晴らしく心に響くんだよ!!!


<余談>
ロン・パールマンはヘルボーイにしか見えない。



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