2012年3月5日月曜日

残念無念な「J・エドガー」

レオナルド・ディカプリオ。

タイタニック以後、「レオ様」等とあだ名で呼ばれながらアイドル俳優の道を突き進んだ、何とも幸運な男。そして同時に、そのアイドルイメージが災いし、演技の評価はなかなか得られず、今やあだ名は「デカプー」等とジョーク交じりのネタに変わってしまった不運な男。

彼は今、ヤリ手実力派俳優として認められる日を何より渇望する。

しかし、遂に、デカプーは最大のチャンスを迎えた。

共演にナオミ・ワッツとジュディ・デンチ、
脚本に「ミルク」のダスティン・ランス・ブラック、
そして監督にクリント・イーストウッド御大将を迎え、
ガチでオスカーを狙いに行った話題作「J・エドガー」。

この「尋常ではない布陣」に、映画公開前から大きな注目が集まっていた。


・・・。


しかし、フタを空けてみると、評判はそれほど良くならず、デカプーはオスカーにノミネートすらされなかった。


ああ、なんて不運な男!!





”生の終盤に差し掛かったFBI長官J・E・フーバー。彼は回顧録の作成にとりかかり、部下に書き取りを命じて語り出す。1919年、司法省に勤務していたフーバーは、長官の目に留まり、新設された急進派対策課を任される。これを機に、秘書室のヘレンにプロポーズするが断られてしまう。それでもフーバーは、彼女を個人秘書として生涯にわたって雇い続けることに。その後、FBIの前身である司法省捜査局の長官代行となったフーバーは、片腕となるクライド・トルソンと秘書のヘレンだけを信頼し、自らの信じる正義を実現すべく、捜査の近代化と権力の集中を進めていくのだが…。”


まぁ、ノミネート漏れも仕方ないのかな、と思ってしまった。これは難しい。感情移入がホント難しい。
 フーバーの理論である「悪の根絶、監視、弾圧」は、表面的には正しいものの、それは結局のところ、歪んだ己の本心からくる反動だった。しかもそれは客観的悪ではなく、自分の感情が先行してる。この感覚、なかなか理解するのは難しいよ。
 それに、アメリカの歴史的背景が前提知識として入っていないと、ストーリー展開にすらついていけなくなってしまう。面白いんだけども、その面白さを全て汲み取り切ることができなかった。その自覚症状も感じた。ああ、フラストレーション。

 ただ明らかに文句をつけたいところは、ある。それは特殊メイクだ。デカプーとナオミ・ワッツの老人メイクが、何とも嘘クセェ!すごく本物っぽいのに。まるでロボット開発における「不気味の谷現象」のようだ。ジュディ・デンチのリアル老人に比べたら、もう明白。(まぁジュディ・デンチは演技じゃないが。)
観ていて思い出したのが、志村けんと加藤茶の老夫婦コント。あれそっくり(笑)
 こういう場合、普通なら老人キャストを別で設けるんじゃないか?あんなメイクさせてまでデカプーにやらせようってのは、さすがに無理があったんじゃないか?もう、デカプーの「オスカー獲りたい!」っていう目的が先行しすぎだよ。

ただ、デカプー曰く、

「オスカーがいらない俳優なんていないよ。もしそんな事を言っているやつがいたら、そいつはウソつきだ。」

とのこと。ま、ここまで言われてしまうと、逆にカッコイイかな。

 デカプー等と言うと嘲笑しているように聞こえるけど、自分はデカプーが好きだ。デカプーが好きだ。デカプーが大好きだ。彼はアビエイター以後、素晴らしい作品に出演し続けてる。キャッチミー〜とかディパーテッドとかインセプションとかね。中でもベスト・デカプーな作品は、ブラッド・ダイヤモンド。彼の個性が引き出された、素晴らしい演技だった。これを観た時、「ああ、いつか彼にはオスカーを獲ってほしい。」と心の中で思ったもんだ。
隠れた名作「ギルバート・グレイプ」は観ていないのでお恥ずかしいのだが。



 そういえば、デカプーの相方の訳として、「アーミー・ハマー」という俳優が出ていた。風貌と声から、「ソーシャルネットワーク」のウィンクルボス兄弟役の人だとすぐにわかった。キレイで精悍な、如何にもワスプ的な顔立ちと、ドスの効いた低い声が、何ともミスマッチで、忘れられない。しかも今回のホモ演技はなかなかよかった。デカプーを見る目がいちいちエロかったからだ。今回は分身の術を使っていなかったけどもね(笑)




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