2012年2月19日日曜日

ブルーバレンタインを見て


 昨週観た「ブルーバレンタイン」についていろんな批評サイトを見てみたが、だんだんと考えがまとまってきた。自分が見終わった時の「あれ、なんだこの映画は?」な感覚は、結構マトを得ていたのかもしれない。



ストーリー −allcinemaより抜粋−
” かつてはあんなに愛し合っていた結婚7年目の夫婦、ディーンとシンディ。かわいい娘と一緒に暮らしながらも2人の間の溝は深まるばかり。上昇志向が強く、努力の末に資格を取り、病院で忙しく働くシンディにとって、朝から酒を飲み、まともな仕事に就こうとしないディーンの無気力ぶりが歯がゆくてならない。一方のディーンには、シンディがなんでそんなに多くを求めようとするのかが分からない。お互いに不満と苛立ちばかりが募ってしまう。やがてディーンは、危機に陥った夫婦関係を修復すべく、気分を変えようとシンディをラブホテルへと誘うのだが…。


 出会った頃の二人と、別れる直前の二人の描写を、同時並行的に織り交ぜた話になっていて、まるで先日見た「500日のサマー」のような構成になっている。ただし、「500日のサマー」が完全に青春映画だったのとは対照的に、本作は完全に大人の愛について語るもので、一つ一つの演出が現実的だ。

 特に、別れの時間軸にて描かれている二人の心の行き違いを、絶望的なまでの落差を、見えにくい形で、それでいて確実に描いている。自分が見ても気づかなかった重要ポイントが数多くあり、他の批評サイトを見て、ナルホドと改めて感心させられたところ。

 本作は俳優の演技に対する高評価を集めていて、ライアン・ゴズリング、ミシェル・ウィリアムズは、幾つか映画賞でノミネートに至っている。ただ話によると、本当にすごいのは、その背景にある演出なんだとか。というか、そもそも、演出なんてなかった、のこと。監督は演出指示を一切出さず、俳優にシナリオだけ理解させ、「あとは任せる、好きにやれ」という感じで丸投げしてしまったんだとか。(町山氏情報)でも、それがあったこそ、俳優自らが考えて感情を出し、結果的に「作られてない、自然な雰囲気」を出すことに成功したんだね。

 本作は、出会った頃と別れる頃、どちらかが主軸だということは決めていないだろうというのが大方の人達の見解。そして、「あんなに愛しあった二人が、こうも覚めてしまうものなのか」という感想も、概ね一致するところ。
 ただ思うのは、シナリオレベルの作り込みは、別れる頃の方がかなり濃いのではないかということ。それは、付き合い始めた頃の、バブル経済のような実の無さに対し、別れる頃の、地に足ついた実体感を描く対比構造を際立たせる役に立っていると思う。

 つまり、2人の恋愛・結婚の成り行きを見守る映画であるということよりも、愛が実体のないものであるという事を、固定視線で客観的に見ることができる映画ではないかと思う。当たり前の話なんだけど、それが付き合い始めた頃には気づきにくいから。

 そしてこの映画は、「実体のない愛」に、実体を持たせることはできるのか?何があれば実体を持たせることができるのか?そもそも実体とは何か? といったことを問いかけてくれる映画でもある。

 監督の育った家庭は、まさにこんな夫婦だったらしい。だからこそ、初期の燃えあがるような恋愛に対しては、一線身を引いてから見ることができる人なんだろう。そんな監督の思いを疑似体験できる映画なんだと思った。いろんな人に見て欲しい映画だなー。

結局、タイトルの意味は分からず終い。青いバレンタイン?冷たいバレンタイン?覚めたバレンタイン?





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