<ネタバレ注意>
五十六鑑賞から3日経過。落ち着いて考えてみると、どうして引っ掛るポイントがある。
まぁ、数日前に書いたけども、玉木宏が、ラストで語る話のトコロだよ。
要するに、「皆それぞれが周りを見て、ちゃんと考えて生きよう。」みたいな事を言っている。それはそれで正しい。心からそう思う。
でも、「考えよう!」って直接的に言ってしまっているのはどうなの?
やっぱりそれは、作品全体が「醸しだす」メッセージとして、「それとなく、かつ鮮烈に」描くべきでしょう!考えれば、それを読み取ることができるよ!
でも今の日本の観客は、考えて読み取れない人が多いので、直接的に「考えようね」って教えてあげているわけだ。
これは本映画のメッセージをなし崩し的なものにしていないか?それとも、そもそも考えて見る人がいないのだから、考えなくても伝わる形で「考えろ」と伝えた本作の形こそベストだった?
それとも、どっちでもいい話?
うーん。
最近、禁止手の筈だった、長ったらしい批評文を書いている・・・反省。
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