2012年1月10日火曜日

「RAILWAYS」と「紅の豚」

<例によってネタバレ注意>

 RAILWAYSは昨日書いた通り、面白いんだけどヒネリの弱い映画だと思う。その中でも一番ヘタだと思ったのが、ラストの描き方だ。定年を迎えた旦那は、結局は嘱託として職場に残り、現役運転手を続ける選択をした。奥さんは、看護の仕事を順調に進めている。つまり二人は、以前は考えられなかった「共働き」を始めるという形でのハッピーエンドだね。で、このオチ自体は全く問題ないと思う。現役続行、つまり嘱託についての伏線はちゃんとあったし、そもそも定年の引退だって長年苦労をかけた奥さんのためでもあったんだから。つまり奥さんが外で働く幸せを得る事を旦那が許せたことで、旦那は運転手を辞める理由は無くなっていたわけだ。論理的にね。自分も個人的に好感の持てる結末だったと思う。
 じゃあ何がヘタかというと、ずばり「嘱託として運転手を続けている旦那をガッチリを描きすぎていること」だ。いくら嘱託の伏線が描かれていたとはいえ、直前まで引退セレモニーをしていたんだから、観客にとってその展開は「予想外」という印象を持つのが普通だ。そしてその「予想外」を最大限に心温まるものにするためには、その「予想外」をきちんと描くのではなく、あえてボヤかせて描くことで、観客のワクワク感を持続させることが効果的なんだ。

 今回の例ならばどうするべきだったか。ラストシーンで電車から降りた奥さんが先頭に目線を向けた時、運転席の窓から手が出てきて奥さんに合図を向けるシーンがあった。映画ではその後、電車の運転席のシーンにカメラが移り、旦那の「出発進行!」の様子を写している。いやーこれは見てて「イラッ」としたよ。ここは窓から出てきた手だけを映して切るべきだったと思うね!それによって観客は「あ、旦那さんが続けてるってことかな!?」って何となく予想はできる。できるんだけども、その実際の姿を観ていないので、予想しかできないわけ。そこにホンワカとした温かみ、ワクワク、希望を増幅させる効果が期待できるよね。もっと言ってしまうと個人的には、むしろ手すら出さず、電車から降りた奥さんが、運転席の方をみながら「クスッ」って微笑むシーンがあるだけで十分。最低限の表現で結末がやんわりと伝わる完璧なエピローグになるはずだよ。

 こんな感じの「しっかり描かないラスト」はいろんな映画で用いられているけども、パッと思いつくのが「紅の豚」のラストだ。ポルコは最期に人間に戻っ・・・た?そしてジーナと・・・どうなるんだーーーーーーー!!!? ってなラストが、自分は大好きだ。もしポルコの人間の姿をラストで描き、ジーナと一緒に暮らす光景を映しちゃったりしたら、紅の豚全体を通じて語られている「男のロマン」と「男女の恋路」の絶妙なバランスが崩れてしまうトコロだよ。

 こういう様な結論の明言を避ける表現を、「作者の逃げ」だなんて言って批判する人もいるようだけど、そういう人はもっと映画の持つ力に認識すべきだよ。監督・キャスト・スタッフによる表現行為なんだから。芸術と同じだよ。



 ※ただし気を付けなければいけないのは、ストーリー本筋でソレをやってはいけないってこと。ストーリー全体としての本論を明確に主張する前に放り投げてしまうと、観客にはストレスしか生まれないから。それで失敗したのがマトリックス・レボリューションズだよ。(いや、ちゃんと描いてはいたんだけど、予備知識無しで理解できない内容だったので、ライトな観客を置き去りにしたんだよね。)


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